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主日礼拝宣教要旨

「イエス、私たちの模範」 朴 思郁 協力牧師

2023年4月2日(日) 主日礼拝 宣教要旨
フィリピの信徒への手紙2章5-11節

「イエス、私たちの模範」 朴 思郁 協力牧師

 

「互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」

フィリピの信徒への手紙2章5-8節


 本日は、「棕櫚(シュロ)の主日」、または「パームサンデー」とも呼ばれています。それは、イースターを前にして、イエス様がエルサレムに入城されたことを記念する主日です。イエス様ご自身は、エルサレム入城がどんな意味なのかを知っておられました。つまりエルサレム入城のその先に何が待ち構えているのかをご存知であったと思われます。イエス様のエルサレム入城は、当時のユダヤ教の指導者たちにとっては、脅威となる出来事でした。宗教指導者たちは、辺境からの無名な指導者イエスに関するうわさや評判などを聞けば聞くほど、その勢いが増していくことを危惧していました。そのため今回のイエスのエルサレム入城を、自分たちに真っ向勝負を挑む行為とみなしていたのでしょう。

 そんな中、エルサレムに入城するために、イエス様が選んだのは、「ろばの子」(ヨハネによる福音書 12章14節)でした。イエス様がロバの子に乗るということは、極めて意図的かつ象徴的な出来事でした。この世の求めている権力と支配欲とは違って、イエス様はどんな姿で来られたのかを鮮やかに示す出来事でした。言ってみれば、この世的な種々の願望に対する反逆もしくは拒否と言って良いでしょう。ロバの子に乗っている姿は、「平和の王」を表すもので、ご自分の果たすべき使命をはっきりと示すことでした。ある意味、イエス様ご自身の確固たる意思表明 だったのです。主イエスは、この世の求めている道ではなく、ご自分が歩んでいかなければならない道がどんな ものであるかを知っておられたのです。

 本日の聖書は、使徒パウロによって書かれた主イエスの歩まれた道です。とりわけ初代教会の人々が、イエス を主と告白しながら賛美する、「キリスト讃歌」と呼ばれていました。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず」(6 節)というのは、まさにロバの子に乗っておられるイエス様の姿を思い起こさせる言葉です。使徒パウロは、この「キリスト賛歌」を唱えるたびに、このロバの子に乗っておられる主イエスの姿と「人の子が来たのは、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た」(マタイによる福音書20章28節)という言葉を思い出していたのかもしれません。主イエスとの出会いによって、劇的な変化を経験した使徒パウロだからこそ、主イエスを模範として生きるということを力強く勧めることができるのです。

 私たちは、「棕櫚の主日」を迎えて、ロバの子に乗っておられる主イエスこそ私たちの模範であることを覚えつつ、それぞれの生き方を振り返って見ることができればと願っています。

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