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主日礼拝宣教要旨

2023年3月19日(日)主日礼拝宣教要旨「御心に適う苦しみ」ペトロの手紙一 2章18-25節

「あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。」

ペトロの手紙一 2章21節

                  

西川口キリスト教会 朴 思 郁協力牧師

 本日の聖書は、ペトロの手紙の一部です。私たちは、誰よりも近距離で、主イエスの受難を目の当たりにしていた使徒ペトロが、苦しみについてどのように説明しているのかについて耳を傾けてみたいと思います。とりわけ、本日の聖書で、使徒ペトロは、「神の御心に適う苦しみ」を言います。使徒ペトロが私たちに示している「御心に適う苦しみ」は、今日を生きる私たちに何を意味するのか、「御心に適う苦しみ」についてご一緒に考えてみたいと思います。
 まず、本日の聖書から教えられるのは、苦しみを受ける際には、何よりも今経験している状況を見極めることが大事であるということです。それに関連して、使徒ペトロは、召使いという立場から事例紹介をしています。そして、ここでの焦点は、自分は過ちを犯してないにも関わらず不当な苦しみを受けることになったとき、そして何らかの罪を犯して打ちたたかれるとき、それぞれをきちんと見極めることが大切であることを教えられるのです。「神がそうお望みだとわきまえて苦痛を耐えるなら」、「善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら」、それこそ御心に適った苦しみであるということなのです。
 もう一つ、使徒ペトロの手紙から教えられるのは、私たちは信仰者として、自分の受けている苦しみをどのように受け止めるべきなのか、そしてそれが私たちにもたらす有益は何なのかについてです。使徒ペトロは、苦しみを受け入れなければならないと言います。私たち信仰者は、「苦しみを受けるために召された」というのです。言い換えれば、信仰者として、苦しみを避けようとするより、受け入れるべきであると教えています。苦しみを受けているときは、信仰の成熟、向上を図ることができる、ある意味、使徒パウロが言われる「神の恵みを十分経験できる時」なのです。
 最後に、私たちが使徒ペトロから教えられるのは、私たちが苦しみを受けているとき、その苦しみを如何にして乗り越えられるかについてです。主イエスの最側近として、イエスの生き方や様々な出来事に向き合うイエスの姿勢を誰よりも知っている使徒ペトロは、主イエスの受難と死を旧約聖書のイザヤ書53章と照らし合わせて勧めています。私たちが苦しみを克服するために求められるのは、ほかならぬ十字架の受難と死を通して示された主イエスの模範を覚えることであると言います。私たちそれぞれが、「神の御心に適う苦しみ」の意味を覚えつつ、それぞれの生き方を振り返ってみる受難節を過ごしていきたいと願います。


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