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主日礼拝宣教要旨

2023年1月29日(日) 在宅主日礼拝 宣教要旨 「祝福と和解」エフェソの信徒への手紙1章3-14節

「こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。」

エフェソの信徒への手紙1章10節

        

西川口キリスト教会 石井 鉄也

 本日の聖書の箇所では、神様は、「キリストを通じて」我々信仰者を祝福してくだっていることが繰り返し書かれています。エフェソの信徒への手紙の時代に、信仰者は「キリストにより頼む」という原点を見失いつつあったのかもしれません。我々は、キリストにあって神様の祝福があることを改めて心に留めなければなりません。
 10節では、時が満ち、神様の計画が達成され、万物がキリストにあって一つにされると述べています。これが全和解です。宇宙の一切がイエスキリストにあって和解され、この和解により我々は祝福に与ることができるのです。
 一方で、聖書における神様との和解というのは、神様と我々の歩み寄りによるのではなくて、神様のひとり子であるイエスキリストの血によって義とされたことを忘れてはいけません。ローマの信徒への手紙5章10節から11節では、我々はキリストの一方的な犠牲により、神と和解が出来たこと、それは神様による時を越えての御計画であることを覚えます。さらに人間だけではなく、万物が神様によって和解させられたとあります。我々が資源を大切にするのは、資源を大切にしないと人間が地球上で生活できないからではなく、万物は神様が創造し、祝福し、そこには命が込められているからであります。神様は人間と同様に万物にも祝福と和解を与えているからなのです。
 この言葉こそが、人間が万物に思いを寄せていく根本的な理由なのです。
 このように神様からの祝福と和解を受けた私たちはどのようにあるべきなのでしょうか? 12節、14節には、「神の栄光をたたえる」とあります。
 私たちは今日改めて、御子イエスキリストの犠牲によって、神様との和解がゆるされ、祝福に与ることが出来ていること、神様からの祝福と和解を覚えて、神の栄光を讃え、信仰にとどまり、福音の希望から離れずにいたいと思うのであります。

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