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主日礼拝宣教要旨

2023年1月15日(日)在宅主日礼拝 宣教要旨「わたしの目指すところは」フィリピの信徒への手紙3章12-16節

「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ・・・・・・目標を目指してひたすら走ることです。」

フィリピの信徒への手紙3章12-16節

   

朴 思郁 協力牧師

 聖書には、私たちの信仰の成熟や向上を表わすために様々なたとえや概念などが用いられています。使徒パウロの言葉を借りると私たちの信仰の旅路は、マラソンのような長距離競走のようなものです。言い換えれば、走り続けることが、まさに私たちが生涯をかけて努めていかなければならない信仰生活をあらわす最も的確な言葉であるということです。 
 私たちが信仰の競走を正しくしていくために求められることは何でしょうか。本日の聖書から考えられる事柄の一つは、過ぎ去った過去のことは、忘れなければならないということです。13節には、「兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ」と言います。私たちは、過ぎ去ったことに囚われることなく、神がなさろうとされる御業を夢見て、希望をもって生きるのです。
 もう一つは、現在のことに最善を尽くさなければならないことです。12節には、「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです」と言います。使徒パウロには、生涯にわたって苦難と迫害が待ち構えていましたが、主イエスに託された使命、すなわち神の恵みの福音をあかししていくために、その生命を惜しまずに、捧げていたのです。
 最後は、未来に向けての目標を定めなければならないことです。使徒パウロは、「神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」(14節)と言います。使徒パウロの生涯における目指すところが変えられたのは、自分の意志によるのではなく、復活の主イエスに捕らえられたからです。私たちの希望がこの世だけに限らず、永遠の約束に基づいているのであれば、私たちの目指すところも変えられなければならないのです。確かにこの聖書はフィリピにある教会共同体に宛てられている書簡です。使徒パウロは、教会共同体が福音にふさわしく生きるために、最善を尽くしいくこと、そして、目標を目指して全力を尽くしていくことを勧めています。私たちには様々な課題が山積していますが、一つ一つの事柄を丁寧に対応しつつ、教会共同体として私たちが目指すべきところ、その方向性を失うことなく、みんなが心と歩調を合わせて一歩ずつ前進する、今年一年の歩みになればと心から願います。


アイキャッチ画像 JoeによるPixabayからの画像 

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