「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
マタイによる福音書1章23節
マウマウタン牧師(国分キリスト教会)
新型コロナウイルスによる緊張感が続き、世界の平和が脅かされる現状の中で2022年の待降節の日々を過ごすことがゆるされています。日常生活が様々な緊張感を受け、不安を感じさせる現状に心が縛られている世界の人々に対して、主イエス・キリストの誕生の時が、大きな希望と生きる力を与えて下さる、大いなる慰めになることを、心からお祈りします。
本日の聖書の箇所は、主イエスの誕生に神さまがご計画の中で用いて下さったヨセフの苦しむ姿が記されています。いいなづけのマリアが何者かによって子どもを身ごもったことを知ったからです。どのような経緯でヨセフはそのことを知ったのかは明らかではありません。「聖霊によって身ごもった」とマタイは記しています。
「聖霊によって身ごもる」ことは、人間には理解できない神秘的な次元の事柄です。ヨセフは、律法を守る「正しい人」でもあったので、マリアを密かに離縁しようとします。これは、ヨセフにとって苦渋の決断でした。深い悩みと不安の中で神さまの示された御心に、言葉少なではあるけれども忠実に歩むヨセフの姿により、神さまの言葉に信頼して生きる信仰のあり方が示されます。
困難や不安を与える現実を目の前にしながら、そこで神さまの声を聞き、現実の中で働いて下さる神さまに信頼してマリアを受け入れたヨセフの姿、それは、厳しい状況、災難から逃れないでその状況を受け入れて、その状況に生きようとする耐え抜く生き方が神さまの御心であることをヨセフの姿が示しています。
私たちは、主イエスのお生まれの喜びを心に留めつつ、これからも主イエス・キリストの下に一緒に留まり続けます。私たちが信仰をもって目の前にある厳しい現状に対して耐え抜いて生きようとすることは、今日現実のただ中にいる私たちの名を神さまが呼んで下さること、そして共にいて下さる「インマヌエル」という方であることを受け入れて生きるということです。恐れや不安、厳しい現状に直面している時も、御言葉により耐え抜く力が約束されていることに心の目を留めて、確信の恵みを受けられる日々の生活へと一人ひとりが導かれています。