「あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます。」
ヨハネによる福音書14章14節
朴 思郁 協力牧師
本日の聖書は、試練に出遭うときに、それを乗り越えるための知恵について、使徒ヤコブが書いた手紙です。この手紙を書いた背景には、初代教会のステファノ執事が殉教することをきっかけに起きたエルサレム教会に対する迫害があります。ヤコブの手紙を受けている人々は、当時のディアスポラユダヤ人でしたが、この手紙の内容は、当時の人々に限らず、今日この世において様々な試練を抱えて生きている私たちにも当てはめられる内容であると思われます。
使徒ヤコブは、「いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい」(2節)と言います。私たちが人生を生きていくにつれて、様々な試練に遭遇することはごく自然なことですが、試練を「この上ない喜び」と受け止めることは、決して簡単なことではありません。それにもかかわらず、ヤコブがそのように勧めているのは、試練自体を、神が私たちをご自分の民として、育ててくださるための御心によるものであると信頼すれば、「この上ない喜び」と受け止めることができるからです。
私たちは、信仰に生きるとすべてが守られ順調であり、一所懸命に祈れば、試練もなく、恵まれた人生を過ごせると理解しているのかもしれません。しかし、心を尽くして信仰生活に励んでいても順風満帆な人生になるとは限りません。かえって信仰のゆえに試練に遭遇することもあります。それゆえ「あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます」(5節)と勧めています。試練を取り除けてくださるとか、問題から逃れるように求める祈りではなく、試練に対応できる知恵を求めるように促しているのです。知恵は、この世における如何なる試練も、苦難や悲しみの問題とみなすのではなく、試練を通して神の御心を見つけて、それを喜び、感謝する見方を持つことです。
私たちが試練に遭遇する際に、神が試練を通して、私たちに与えてくださる究極な有益を期待することができれば、試練は決して耐えられない苦しみではありません。試練に直面しても、試練を通して信仰と忍耐と知恵に満ちた人に変えられると信じるなら、その試練を「この上ない喜び」とみなすことができるのです。主なる神が私たちに試練が必要であるため与えてくださったと受け止めて、神の御心を追い求めながらその御心に従って生きるように、信仰が強められるように、祈っていこうではありませんか。