「平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。」
マタイによる福音書 5章9節
西川口キリスト教会 四津 明美
まず、「平和」とは何でしょうか。戦後77年間、日本は戦争をしてきませんでした。そういう意味では平和と言えるでしょう。しかし、様々な社会問題のある状況を「平和な世の中」とは呼べません。イエス様がここでおっしゃっている「平和」はヘブライ語では「シャローム」。これはあらゆる良い状態を示す言葉です。それは神様を抜きにしては語れない平和です。シャロームの源は神にあるのです。そして、イエス様はこの世に平和をもたらすために父なる神から送られた神のひとり子です。
「平和を実現する」とは何でしょうか。口語訳ではこの聖句は「平和をつくり出す人たち」、英語では、「peacemakers」です。平和は最初からあったり、自然発生するものではなく、つくり出さねば存在しないものです。まずそれは、神さまから送られたひとり子イエス様の罪の贖いを受け入れることです。そして次にそのイエス様を伝えていくことです。同時にイエス様が示して下さった生き方を見習いながら、イエス様ならどうするか、という問いかけを、わたしたちは日常の中でなしていくことなのだと思います。
「神の子と呼ばれる」とはどういうことでしょうか。それは「神のような働きをする」という意味です。平和、シャロームが神様の本質であり、働きであるならば、わたしたちの平和をつくり出す働きが、大きい小さいに関係なく神様の働きに与ることになるのです。
イエス様はこの大切なことを弟子や大衆に繰り返し語られました。今は私たち信仰共同体の教会に対して語られています。教会は「平和を実現していく共同体である」と。最近あった個人的な経験から、平和を実現することとは、自分の周りの人々に対して、主イエスのまなざしをもって、誠実に向き合うことだと示されました。「平和を作る声掛けと実践」の積み重ねによって、教会は確かにキリストの香りを放つ共同体として地域社会の中で歩んでいくことができるのだと教えられました。
「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。」(コロサイ3:15)
アイキャッチ画像 Gerd AltmannによるPixabay