ある日のこと、イエスが弟子たちと一緒に舟に乗り、「湖の向こう岸に渡ろう」と言われたので、船出した。」 (22節)
ルカによる福音書 8章22節
西川口キリスト教会 朴 思郁 協力牧師
時々、私たちの人生は海を航海することに例えられます。新生賛美歌520番、「人生の海のあらしに」という讃美歌は、まさに信仰者として人生の海を航海していることを描いています。私たちは、人生の航海においてイエスの教え、御言葉に従って生きることが何より大切であると教えられています。そしてイエス様の命令に従っていけば、問題なく大丈夫だろうという理解が潜んでいるかもしれませんが、聖書に示されているのは、それとは異なります。
むしろ、聖書に示されているのは、イエス様の言われるままに生きる際に、何も起こらない、平穏な状況になるのではなく、どんな状況においても主イエスが共にいてくださると言うことです。そのイエス様は、私たちの状況をよく知っておられる方だけではなく、風と荒波をお叱りになるような、自然さえも抑えることができるほど、すべてを治めておられる方です。その方がどんな状況でも私たちと伴ってくださり、私たちと共にその状況に立ち向かってくださるということです。
その湖での大変な経験を経て、弟子たちはイエス様が指し示された「向こう岸」に着きましたが、そこには思いもよらない課題が待ち構えていました。弟子たちは、イエス様の言葉に従って、湖を渡るうちに大変な出来事を通して、新たなイエス理解をする経験をしてから、新たな課題に直面するようになったのです。しかし、新たなイエス理解を携えているからこそ、今まで経験したことのいない、新たな課題に直面することができるということです。
私たちはここ数年、まるで嵐と荒波にもまれ、水をかぶり、危なくなっている船の中の弟子たちのようなときを過ごしているように思われます。しかし、そのような経験は、ある意味、リスクではなく、主イエスに対する新たな理解と信頼を増していく、恵みのときとして受け止めても良いと思われます。私たちは、嵐と荒波を通して、それぞれの信仰が新たにされ、また教会共同体としての絆が強められる経験をしていると言えるのです。
そして私たちは、今、「さあ、向こう岸へ」と、イエス様に言われています。私たちは、果たして「向こう岸」には、何が、どのような形で、私たちを待ち構えているのかわかりません。唯一の確かなことは、イエス様が伴ってくださるということです。私たちは、献堂記念感謝礼拝を捧げるにあたって、改めて覚えなければならないのは、様々な課題を抱えているにしても、主イエスが私たちと伴ってくださるということです。いつ、いかなる場合にも、主イエスが伴ってくださるということは、変わらないことであるため、私たちは、それに信頼して未来に向かって雄々しく前進することができるのです。