「わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなた方の愛がますます豊かになり、本当に 重要な事を見分けられるように。」
フィリピの信徒への手紙1章9-10節
西川口キリスト教会 M.I
パウロは祈りの力を確信しフィリピの人々のためにこのように祈りました。ここでいう「知る力」とは「神から与えられた知識」、完全な知識、神の言葉、聖書と考えることができます。「見抜く力」とは、「感性による認識」、五感の全てを用いる鋭い感覚という意味だそうです。つまり、神の言葉を自分自身の感覚を総動員して 受け止めていくことによって、愛がますます豊かになるというのです。神を知ることは感性を鋭くしていくこ と、つまり霊性を磨いていくことなのだと思います。ある人は言葉で、ある人は言葉以外の感覚、耳や目、触覚、臭いなどいろいろな感覚を通して神を感じることがあるでしょう。それぞれの感覚を用いて神の存在をわからせていただくのです。そのためには、へりくだった開いた心で受け止めていくことが必要です。神を知り、ひとり子イエスを知ることによって愛を知ることができるのです。
わたしたちは主イエスの十字架によって生かされている存在です。それは誰にでも平等に与えられた恵みです。人種や国籍などは関係ありません。神様の前には、一人ひとりが尊い存在としてあるのです。さらに、主イエスは今もどんな時でも伴ってくださり、執り成し助けてくださいます。私たちはその神の愛であふれるとき、自分中心の自分から解放され、神の恵みを感謝し祈る者と変えられていきます。心砕かれ、へりくだった ときに神様の御心を聴いていくことができるのです。
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