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主日礼拝宣教要旨

2022年5月15日(日) 在宅主日礼拝 宣教要旨 「試練に遭うときには」 コリントの信徒への手紙一 10章13節

「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。
あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れ
る道をも備えていてくださいます。」 

コリントの信徒への手紙一 10章13節

朴 思郁 協力牧師

 試練という主題は、私たち人間にとって誰もが抱えている難題であると思われます。私たちの生きるにあたって避けては通れない主題とも言えるでしょう。本日の聖書には、試練に関して二つのことが示されています。その一つは、試練そのものについてです。果たして試練とは何なのかということについて教えられます。そして、もう一つは、試練に対応する方法についてですが、試練に遭ったとき、私たちはどうすれば良いのかについて学ばされます。
 まず、聖書の中で、試練という言葉を理解するためには、その言葉が使われている場面や文脈を考えなけれ
ばなりません。それは、試練という意味が一つだけに固定されているわけではないからです。それゆえ、試練という言葉を理解するためには、試練が使われている箇所の意図を的確に読み取ることが何より大切です。その事例として、使徒ヤコブは、「いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい」(ヤコ 1:2)と言います。試練は、「信仰が試されることで忍耐が生じる」ゆえに喜びとして受け止めることができるということです。
 それから、試練に対する対応についてですが、まず、試練は耐えられると言われています。それが可能である根拠は、他ならぬ神です。神は、私たちが耐えられるように、その試練の推移や程度などを見守ってくださるということです。何より神は「逃れる道をも備えていてくださる」と言われています。それは、私たちが置かれている状況を良くしてくださるという意味として理解しても良いでしょう。言い換えれば、神は、いろいろな方法や人々を通して、私たちに必要な「逃れる道をも備えていてくださる」のです。
 そのほかにも、神によって私たちの見方が変えられることもあります。今まで考えてきたこととは異なる、自分の固定観念ではない角度から物事を捉えていく「観点の変化」、それが神の備えてくださる「逃れる道」でもあるのです。人生の旅路の中で直面する数々の出来事に一喜一憂せず、「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」(ローマ 8:28)と、いかなる状況に置かれても、神に信頼して生きる信仰の姿勢が整えられることこそ、神の備えてくださる「逃れる道」なのです。


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