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地域と共に歩む桜並木の教会

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主日礼拝宣教要旨

2022年5月1日(日) 在宅主日礼拝 宣教要旨 「復活の主と共に歩む」ルカによる福音書24章13-17 節、30-31 節

「イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。」

ルカによる福音書 24章 30-31 節


朴 思郁 協力牧師

 主日礼拝は、十字架と復活の主イエスを覚えて献げる礼拝です。私たちは、主日礼拝を通して、復活の主が 示してくださった生き方を改めて思い起こしつつ、如何に生きるかについて考えなければならないのです。私 たちは、エマオ途上の二人の弟子の物語を通して、復活の信仰をもって生きることは何なのか、そのために私 たちに求められることは何なのかについてご一緒に考えることができればと願っています。
 まず、復活の信仰に生きるとは、何を意味するのでしょうか。それは単に私たちが死んでも蘇るという復活を信じることだけを意味するわけではありません。復活の信仰に生きることは、自己中心的な願いではなく、 主イエスの言われたことに信頼して生きることにほかなりません。それはある意味、自己中心的な生き方を捨 てなければならない決断が求められるかもしれません。何より、復活の信仰に生きることは、不可能を可能に する神の力に信頼して生きることなのです。
 エマオ途上の弟子たちの物語から、復活の信仰に生きるために求められる二つのことを教えられます。その 一つは、御言葉を思い起こすことです。ルカは、「二人の目は遮られて、イエスだとは分からなかった」と言い ます。ルカは、弟子たちが復活の主イエスに近づいていくプロセスに焦点を当てています。復活の信仰が強められるのは、何より御言葉によって培われることによって可能になるのです。聖霊の働きかけによって、私たちの信仰が揺るぎないものになっていくという一つの模範を教えられるのです。
 もう一つは、主の晩餐に示されたことを思い起こすことです。30 節は、「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった」と言います。ルカは、食事の席の様子を通して、弟子たちに主の晩餐を思い起こさせるようなことをなさったと描いています。その結果、「二人の目 が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった」(31 節)と言います。二人の弟子が、最後の晩餐 を思い起こさせる出来事を通して思い出したことは、主の晩餐の形式だけではなく、そこに示されている精神 であると思われます。
 イエスの精神は、御自らがこの世に来られた目的を言われた言葉によく現れています。「人の子は仕えられる ためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」(マルコ 10:45)。日常生活の中で、御言葉と「主の晩餐」によって、そのイエスの精神が培われ、自己中心的な生き方 を捨てて、ますます神に信頼して生きる、「復活の主と共に歩む」姿勢を整えていけたらと願います。


アイキャッチ画像 https://pixabay.com/images/id-640991/

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