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主日礼拝宣教要旨

2022年1月9日(日) 在宅主日礼拝 宣教要旨「主の愛に促されて」マルコによる福音書 10 章 35-45 節

「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるため
に来たのである。」 

マルコによる福音書 10 章 45 節

西川口キリスト教会 M.I

  イエスと弟子がエルサレムに向かう途上で、イエスは御自身の受難と死を予告します。弟子たちはイエスの言葉を理解できず、自分の名誉心を満たそうと考えていました。そのような弟子に対して、イエスは神の国に招かれている人は、地位や名誉に縛られることなく、新しい関係の中に生きるのだというのです。「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい」(44 節)と。この世における通例に反して、真の支配者は、むしろ仕える者にならなくてはならない。全く次元の異なった生き方があると教えるのです。人を支配するのではなく、互いに仕え合うようにというのです。
 そのような生き方を身をもって示されたのがイエスです。イエスはこう述べます。「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」(45 節)つまり、イエスがこの世に来られた目的は、神と人に仕え、命を捧げて神の愛を示すことであるというのです。イエスは人の子としてこの世に生まれ、私たちと同じようになられました。そしていつも小さい者や世の中から忘れられた者と共に歩まれました。イエスは生涯を通して、神の愛の中に人を生かすために自分を捧げ仕えました。そして私たちの罪、つまり、自己中心と無関心のために犠牲の十字架を負い死なれたのです。私たちはイエスのゆえに罪赦されて神の御手の中にあることを知る時、この世の論理は成立しなくなります。もはやどちらが上か下かなどは関係のない、お互いが罪赦された者として、主の前に小さく謙遜になるしかなくなり
ます。イエスの死と復活の後、弟子たちはイエスと歩んだ時を思い起こしたことでしょう。イエスの生涯の本当の意味を知り、どんなに自分たちが愛されていたかを知っていくことになるのです。そして主が示された互いに仕え合い、生かし合う生き方へと変えられていったのです。
 私たちも新年を迎えて信仰の姿勢を整えるとき、主イエスの生き方に倣って生きることを示されます。


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