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主日礼拝宣教要旨

2022年3月20日(日) 在宅主日礼拝 宣教要旨 「主の体なる共同体」コリントの信徒への手紙一12章26-27節

「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」 

マルコによる福音書14章21節

朴 思郁 協力牧師


 教会という言葉は、聖書の中で「エクレシア」という言葉が訳されていると言われます。「エクレシア」という言葉は、「外へ」を意味する「エク」と「呼ぶ」という意味の「カレオ」を合わせて、古代ギリシャのアテネの市民総会を表す言葉でした。初代教会の人たちは、参与することの大切さとその能力を重視する「エクレシア」という言葉を「神を崇め、イエス・キリストを覚え、聖霊との交わりを持つ自分たちの集まり」に当てはめて使うようになったのです。
 聖書に示されている教会はイエス・キリストの血による贖いによって義とされ、神の民として招かれた人々を言い表します。使徒言行録20章28節では、教会を「神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会」と言います。教会は、イエス・キリストの血を共に分け合った、主イエスと切り離すことのできない、イエスと一体となっている大切な肢体なのです。言い換えれば、私たちの頭であるイエス・キリストを主と信じる人々が教会なのです。建物が教会ではなく、イエス・キリストと一体となることが教会なのです。
 私たちは、教会を私たちの体に例えているパウロの教えから何を教えられるのでしょうか。それは何より、私たちは一つの有機体であることです。有機体とは、多くの部分が同じ目的のために組み合わされて、各々の部分と全体が密接に繋がり合っていることを指しています。私たちの体は、頭を中心として各々の肢体が繋がっている一つの体になっています。有機体の特徴は、繋がり合っている多くの部分がどれも大切であることです。有機体として多くの部分からなる私たちの体には、大切でないものは一つもありません。もし一つのある部分がなければ、私たちの体は健康ではありません。各々の部分が互いに繋がり合って、ある部分が病んでいると、他の部分も共に苦しむのです。
 もう一つ、使徒パウロの体のたとえから、私たちは一つの有機体であると同時に、各々の部分はそれぞれの違いを持っていることを教えられます。それぞれの違いは、優劣をつけることではなく、それぞれの機能が異なることを認めなければならないのです。そのような体の各々の部分から教えられるのは、それぞれの各自の部分を大切にしながら、自分とは違う他の部分を大切にしなければならないということです。それらの一つ一つの奉仕や役割が組み合わされて、私たちはイエスの体なる教会を形成しているのです。だからこそ、互いに尊重し合って、それぞれの役割を担っていくことが、キリストの体なる教会において何より大切な姿勢なのです。

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