「ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは30倍、あるものは60倍、あるものは100倍になった。そして、「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われた。
マルコによる福音書4章8節
奥田 稔 牧師(前橋キリスト教会 協力牧師)
私は西川口教会で信仰が与えられ、7年後には神学校に進み、10年後に西川口教会の上尾伝道所の牧師になりました。会員のOさんと二人からの出発です。伝道所は土地もない会堂もない、無いものだらけの状態でしたが、熱い福音の種まきの信仰がありましたので恐れませんでした。本日の聖書箇所はマルコ福音書の「『種を蒔く人』のたとえ」という箇所です。皆さんはここを読まれてどう感じましたでしょうか。イエスさまが群衆に伝えたかった趣旨という目標に向かって読み解いていきたと思います。
この箇所の理解はこれまでは4:13~20にある解説に従って解釈されてきたのが大筋です。そして、福音を聞く人の責任を示し、「私の心はどんな土地か?」と一人一人を鋭い問いかけに直面させる話だと解釈されてきました。また、福音伝道しても失敗や困難にぶつかる弟子たちに、無益に見える活動にもかかわらず神の国は到来すると、イエスさまが激励した話だったと言われてきました。そして、自分は心がかたくなで、この世のことに心が奪われるために不信仰はダメなのだと、自分を情けなく思ったり反省させられたりしている人々が少なくありません。福音を律法という裁きの手段にしていないかが問われています。
私はこの箇所から次のような理解に導かれるのです。
すなわち、神は、「戒め」を守り奉納義務(現代では献金)を果たしたら祝福を与え、それを守れない者たちに呪いを向けるような神ではない。一生懸命生きている人々を罪人として見捨てるような神ではない。そして、無駄も失敗も不作もあるし、時には凶作にも苦しめられるけれど、きっと豊作の喜びの時が来る。だから安心して、神に信頼して生きたら良いとの言葉が響いてくるのです。あなたはどのように良き知らせを聞きますか。
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