「だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」
(コリントの信徒への手紙二 10章32節
西川口キリスト教会 朴 思 郁 協力牧師
私たち人間が生きるにあたって最も重要な目的は何なのでしょうか。それに対して最も印象的に思われる答えは、「神を崇め、喜ぶこと」です。言い換えれば、「神の栄光を現すために」生きること、それこそが人間の最大の目的であるということです。
本日の聖書には、使徒パウロが自分の経験を用いて、コリントの教会の人々に「神に栄光を帰す」、言い換えれば「神の栄光を現す」ことの意味を示しています。パウロにとって、神の栄光を現すということは、他者との関係の中でどのように生きるかという事柄と関わっています。とりわけ、本日の聖書を通して考えられる神の栄光を現すということは、まず、自己中心的ではなく、他者を尊重しながら、他人の利益を求めることであると言います。パウロは、他の人々の有益を優先して考えなければならないと言います。神の栄光を現すということは、日常生活において、ほかの人々のことを優先して生きることを通して現すということをパウロから教えられるのです。
また、パウロから教えられる神の栄光を現すことは、教会共同体と人々に仕えることです。コリント教会は、種々の問題を抱えていましたが、パウロは、一緒に信仰生活をしている一人ひとりを大切にすることを勧めているのです。なぜなら、それが神の栄光を現すことだからであるというのです。神の栄光を現すということは、何らかの信仰的な美談や実績を残すことを意味するのではなく、日常の生活において、自分の周りにいる人々に対して、誠心誠意をもって対応していくことなのです。
最後に、パウロから教えられる神の栄光を現すことは、目的を目指して生きることです。「私は何者なのか」ということを覚えながら生きるということは、数々の弱さや至らなさを抱えているにも関わらず、主イエスによって、多く赦された者という自己認識に立ち返るようになるのです。そして、朝ごとに新たになる主の憐れみと慈しみによって自分は生かされているという信仰に立ち返って生きることができるのです。それが、他ならぬ神の栄光を現すことであることなのです。私たちが「神の栄光を現すために」誠実にそれぞれの生の営みに励んでいきたいと願います。
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