朴 思郁 協力牧師
「万物の終わりが迫っています。・・・・・・あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。」
ペトロの手紙一 4章7、10節
本日の聖書は、「万物の終わりが迫っています」という言葉から始まります。主イエスは、大衆的な福音伝道の第一声を「神の国が近づいた」と語られました。それは「終末が迫ってきた」という意味でもあります。「終末」は、神の御心に従って生きるように迫ってくる決断のときです。その決断とは、神の御心に従って生きようと心を定めるときなのです。それは、常に古い自分を脱ぎ捨てて、新たな存在に変えられていくことです。ペトロは、本日の聖書の奨励から、「終末の信仰に生きる」ことを促しています。
まず、本日の聖書を通して考えられるのは、自分自身に対する姿勢です。ペトロは、まず「思慮深くふるまう」ことを勧めています。それは、「自分の心をしっかり保つこと」、また「しっかりした精神を持って的確に判断すること」などの意味が含まれています。感情的に振り回されないように自分をしっかりコントロールすることなのです。また、自分自身に対するもう一つの姿勢は、「身を慎む」ことです。「酔っ払って」という言葉の反対の意味として、しっかり自分をコントロールして、過ちを犯さないことが求められるのです。
もう一つ、ペトロが勧めているのは、他者に対する姿勢です。つまり他者に対する姿勢の一つは、他ならぬ、愛することです。ペトロがさらに強調しているのは、「心を込めて」という言葉です。それは、熱心に、徹底的に、強烈に、非常になどの意味が含まれている言葉です。どんな人にも、無条件的に、差別をせずに注いでくださった愛です。ペトロは、他者に対するもう一つの姿勢として「もてなし合う」ことを勧めています。さらに「不平を言わずに」という言葉を付け加えて、他者との関係において、誠心誠意をもって対応することを勧めているのです。
最後に、ペトロが勧めているのは、私たちの生きている世界、つまり私たちの共同体、私たちの社会に対する姿勢です。何よりも私たちに求められるのは、「管理者意識」です。私たちは神からいろいろな賜物を授かっています。それは自分だけのためではなく、自分が属している共同体のために、また私たちが生きている社会のために用いられるために与えられたものです。自分のもっている才能、能力などは、自分のためだけではなく、神に授かったものとして、自分の属している世界のために仕えていくためであることを覚えることが大切です。私たちそれぞれが、与えられている立場で、「終末の信仰に生きる」という意味を改めて覚えつつ、信仰の旅路を歩み続けたいと願います。