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主日礼拝宣教要旨

2021年7月11日(日) 在宅主日礼拝要旨 「牧師を招かば才長けて…?」 コリントの信徒への手紙一 12章27-31節

西川口キリスト教会 戸井田 敦子

神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行う者、その次に病気をいやす賜物を持つ者、援助する者、管理する者、異言を語る者などです。

コリントの信徒への手紙一 12章27-31節

私たち日本バプテスト連盟西川口キリスト教会にとって、牧師を招聘するとはどういうことなのでしょうか。バプテストが他派と違う点はたくさんあると思いますが、牧師招聘に関わることですと、牧師は他の信徒と同じく一教会員であり、「牧師」という職分である、と明確に規定しているところだと思います。
バプテスマや転入会などで新しい教会員がいらしたとき、私たちは「こういう人であってね」とは思わないと思います。しかし、牧師を招く時はどうでしょうか。牧師も一教会員です。でも、私たちはその人が「牧師」の信仰や賜物や人間性やスキルや知識や経験を持っている、と期待します。期待を持つのは悪いことではないし、教会のまぼろしを描いて、それを共に歩んでくださる牧師を期待するのは自然なことです。しかし、私たち自身が変わらずに、こちらの希望に合った牧師を外から呼んでくれば、全ての問題は解決するのでしょうか。その牧師が私たちを引っ張っていってくれれば良いのでしょうか。リーダーシップという「信頼」は素晴らしいですが、反面、リーダーにすべて任せ、毎週礼拝を捧げることができ特段の問題もなければ、信徒自身があまり考えたり決断したりせずとも済んでしまうという危険性をはらんでいます。
パウロの語る教会の姿では、それぞれの人に賜物があり、それぞれが違う役割を担う。そしてみな、平等に主に奉仕しています。神格化された特別な存在がリーダーシップをとっているのではなく、それぞれが補い合い一つの身体として働いています。
その姿から学び、これからの西川口教会の「牧師像」を考えていきたいのです。私たちの教会の「牧師像」を考えることは、私たち信徒自身がどう生きるかを考えることであり、信徒の集合体である教会が、これからどのような教会になっていくのかに直結します。牧師―新しい身体を招くことが、私たちの信仰共同体が新たにされることとなるように、心から願い祈ります。


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