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主日礼拝宣教要旨

2021年7月4日(日) 在宅主日礼拝宣教要旨 「世の光、塩として」 マタイによる福音書 5章13-16 節

朴 思郁 協力牧師

あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。

マタイによる福音書5章13-14節

本日は、神学校週間を覚えつつ、私たちの信仰の原点である献身についてご一緒に考えてみたいと思います。連盟の伝道者養成を担っている三つのそれぞれの神学校の神学生たちだけではなく、教鞭をとっている教員や事務担当者の方々のためにも、祈りに加えて頂ければと願っています。それと同時に、神学校週間に際して、改めて私たちの信仰の姿勢を整えることができればと思います。
まず、私たちの献身は、この世の中で行われるということです。主イエスは、「あなたがたは、地の塩であり、世の光である」と言われます。この言葉の中で強調されるのは「この世の中で」です。献身はこの世を離れるのではなく、この世の中で捧げられるものなのです。さらに献身は、私たちの生の営みを周りの人々に示さなければならないということです。主イエスは、塩の役割の中から塩味について言われています。塩は、何よりもありとあらゆるところにあるごく平凡な存在です。しかし、塩は、じわじわと影響を及ぼすものです。意識していないうちに、いつの間にか塩気が染み込んでいることに気づくだけです。
イエスは、もう一つの欠かせないものとして、光を取り上げられます。光として生きるということは、どうしても物理的なイメージで、少しプレッシャーを感じられるかもしれません。しかし主イエスが強調されるのは、暗闇を照らす光の力です。それが神に従って生きる信仰者の本質なのです。塩も灯火も共通するのは、自分を溶かして、また自分を燃やして、善き影響力を与えることです。私たちそれぞれの献身によって、神があがめられるようになるのです。それこそ私たち信仰者にとって、最も大切な信仰の目的なのです。
主イエスは、あなたがたは、「塩になりなさい」、「光になりなさい」と言わずに、「塩である」、「光である」と言われます。私たちは、「すでに」塩であり、光であるというのです。私たちがもっているもののゆえに、塩や光になるのではなく、主イエスに従って生きることこそが、塩であり、光であるということです。私たちの信仰生活が完璧だからではなく、心を込めて、神を意識しながら、主の教えに従って生きようとすることが、「地の塩」、「世の光」であるということです。コロナ危機の中、以前とは違う不慣れな状況でも、誠実にイエスに従おうとする信仰の姿勢を保っていること、それこそがどんなものとも比べられない献身なのです。


アイキャッチ画像 pixabay

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