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主日礼拝宣教要旨

2021年6月20日(日) 在宅主日礼拝宣教要旨 「信じるということ」 ヘブライ人への手紙11章1-6節

朴 思郁  協力牧師

信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。

ヘブライ人への手紙11章1節

本日の聖書は、「信仰の章」と呼ばれる聖書の一部で、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」という、あまりにも有名な大命題が記されています。本日の聖書には、信じるということについて、大切な教えが示されていると思います。
まず、信じるということは、神の存在を信頼するということです。私たちが生きている世界、そして様々な自然現象などは、どのように成り立っているのかということを考えなければならないと思います。そういう意味で、私たちが信じるということは、私たちの生の営みすべては、神によって支えられ、生かされていると受け止めることです。私たちの生の全領域において神に支えられていると認めることです。世界のはじまり、そして存在する全てがどのようにして成り立っているのかということは、様々な理解や説明がありますが、神によって全てが造られ、支えられていると信じることが私たちの信仰なのです。
そして、そのような信仰の模範として、アベルとエノクの話が紹介されています。私たちは、兄のカインが弟のアベルを殺した殺人の動機について思い巡らします。聖書の解釈では、カインは「悪い者に属して、悪い行いをした」と言います。反面、弟のアベルは、神を意識しつつ、心を込めて神に捧げものをしていたということです。アベルが無念の死を通して証明しているように、信仰とは神に対して徹底的に信頼することなのです。また聖書は、エノクが死を経験しないように天に移されたと言います。「エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった」(創5:24)と言います。いずれの箇所も強調するのは、エノクは徹底的に神を意識しながら、生きていたということです。 
アベルもエノクも共通するのは、他ならぬ、人生の歩みの中で、徹底的に神に信頼していたということです。二人の信仰の模範を通して示された「信仰の真髄」について「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです」(6節)と言います。私たちは、不確かさのゆえに不安やおそれを抱えているかも知れません。真の神を認めようとしない世の中の風潮や私たちの生き方を惑わすおびただしい情報の洪水の中でも、聖書を通して、改めて信仰の姿勢を整えていけたらと願います。


アイキャッチ画像  reenablackによるPixabayからの画像 

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