ふじみのバプテスト教会 山下 真実 牧師
イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。
使徒言行録1章3節
私たち教会に与えられている希望とはなんでしょうか。復活の主が、天に昇られるまでの間、40日に渡って大切に話してくださったことは二つ…ひとつは、ご自身が「生きている」ということ、もうひとつは、「神の国」についてでした。
私たちはいま「苦難の後」いうよりも、苦難のただ中にあって、目に見える形での希望を必要としていると思います。生きている、命がある、希望は終わっていない、そんな励ましを必要としています。私は、教会という場こそ、復活のキリストを信じる互いの存在を通して、そのような希望と励ましを確認する場であると思っています。
また「神の国」について、キリストは十字架にかかられる前、弟子たちに「神の国はあなたがたの間にある」(ルカ17:21)と語られました。そしてこの時、復活のキリストは弟子たちに現れ、その「神の国」について40日間もかけて話されました。それに対して弟子たちは「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」(6節)と尋ねました。弟子たちは「イスラエルの国」のこと――ローマという力の強い国によって、自由を奪われている自分たちの国、その国がローマから自由になって、力を取り戻すこと、自由な生活がやってくること――を考えていたのでしょう。
そんな弟子たちに対してイエス・キリストは、弟子たちが受ける聖霊の「力」(8節)について語られました。それは、世界中で、人々の間で「キリストの証人となる」(8節)という「力」です。神さまはイエス・キリストを通して私たちに愛を示され、実に十字架の死に至るまで愛を示されました。「キリストの証人となる」とは、そんなイエス・キリストの姿を思いながら、この神さまが、私をも愛してくださり、いつも私と共にいてくださるということを信じ、そのことに励まされながら今日を、明日を、この世界を、希望をもって生きる…そのような「力」だと思います。キリストにあって生きる力…そんな「力」を受けると弟子たちに約束された主は、いまこの世界を生きる私たちにも、同じ励ましと約束をくださっています。
アイキャッチ画像 Jackson DavidによるPixabay