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主日礼拝宣教要旨

2021年3月14日(日) 在宅主日礼拝宣教要旨 「小さい者の一人に」 マタイによる福音書25章35-40節

西川口キリスト教会 四津 明美

はっきり言っておく。私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。

マタイによる福音書25 章40

私たち人間は皆、「弱さ」を抱えています。どこかに強い人がいて、どこかに弱い人がいるのではありません。コロナ危機にある今は、さまざまな不安が増えました。私たち皆が「小さな者」、「弱い者」だと言えます。

イエス様の目はこうした小さな者、小さくされている者に特別に注がれています。それはイエス様がこの地上におられた時になさったことでもありました。イエス様のみ業は、いつも小さくされている人たちの間で行われたのです。

私たちは自分の仕事や日常生活に精一杯で、自分の周りで起きていることを、見えていても見ていない、聞こえていても聞いていないことがありそうです。直接自分には関係ない他人事としてしまう、無関心と自己中心と言う罪を示されます。そのような罪人であるわたしたちに代わって、イエス様は十字架にかかってくださいました。十字架の痛みと、裏切られ理解されない辛さを味わわれた主イエスの苦しみは私たちの無関心や自己中心の罪のためでもありました。

3月11日を前にたくさんの震災・原発事故関連の特集番組がありました。その中で継続した支援の働きに支えられて、新たな歩みをしているというドキュメンタリがありました。人が人を思いやる、助ける、つながるというイエス様の愛の業が、そこでなされてきたのだと思います。キリスト者が関わっている場所でも、関わっていない場所でも、どこにでも神様の大きな力が働いているのです。その働きをキリスト者は「神がなさる業」と受け止め、そうでない人たちは「絆」とか「つながり」と言った別の言葉で表現するのでしょう。

「人に親切にしよう」とか、「困っている人を助けよう」ということは聖書の中では「隣人愛」と言う言葉に含まれます。聖書に貫かれている二つの大切な掟のうちの一つです。一つ目は神を愛すること、二つ目が隣人を自分のように愛することです。

小さい者を「わたしの兄弟」、と呼んでくださるイエス様は、この1年の西川口教会の歩みの中にもおられました。コリントの信徒への手紙二12章9節の「力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言うみ言葉どおり、大きな力によって押し出されました。弱さを持つお互いどうし、思いやりつつ、励まし合いつつ、歩みましょう。顔を合わせることはできなくても互いは西川口教会と言うイエス様の体の一部なのだという安心と励ましの中でこの1年を振り返って感謝し、そして新年度へと希望を持って歩みを進めていきたいと思います。


アイキャッチ画像 Free-PhotosによるPixabayからの画像 

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