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主日礼拝宣教要旨

2021年3月7日(日) 在宅主日礼拝宣教要旨 「パンと杯をもって」ルカによる福音書22章14-20節

朴 思郁 協力牧師

それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。『これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。』食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。『この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。』

ルカによる福音書22章19-20節

私たちは、イエス様の受難を覚えるレントのときを過ごしていますが、この一年を振り返ってみますと、生活の至るところでありとあらゆる変化を余儀なくされています。私たちは、一年の間「主の晩餐」を控えてきましたが、今度のイースターを迎えて、「主の晩餐」について、改めて聖書から学ぶことができればと思います。共に聖書から学び、バプテストとして持つべき姿勢や理解を深めることができればと思っています。
礼典とは、ギリシャ語の「ミュステリオン」(秘跡)を訳した言葉で、キリスト教の礼拝における特別な恵みの業を示しています。つまり、内的な、あるいは霊的な目には見えない神様の恵み、キリストの恵みを、目に見えるしるしを用いて、わたしたちをキリストに結びつける神の恵みを表しています。私たちバプテスト教会も「バプテスマ」と「主の晩餐」を二つの礼典と受け止めています。つまり、目に見える恵みのしるしとして、私たちは「主の晩餐」を大切にするのです。今週は、主に聖書に記されているイエスの主の晩餐の場面を通して、主の晩餐の意味について考えてみたいと思います。
主イエスが十字架につけられる前日の夜、弟子たちと行った最後の晩餐は、「主の晩餐」のモデルとして取り上げられています。その背景には、過越の祭りがあります。過越の祭りは、1500年の間に、イスラエルの人々が守ってきたお祭りです。イスラエルの民は、過越の祭りを通して、自分の代わりに犠牲となった小羊を食べながら、自分たちを救い出してくださった神を褒め称えていました。イエス様と弟子たちは、伝統として行われる食事を用いて、その意味を新たにしたのです。
イエス様は、過越の祭りの食事の中で、「わたしの記念としてこのように行いなさい。」と言われました。「記念」するということは、「記憶」するという意味があります。パウロ書簡には、「あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです」(コリント一11:26)と言います。主の晩餐を行うたびに、主イエスの十字架を覚えて、私たちを愛し、いのちを与えてくださったその恵みにこたえて生きていかなければならないのです。そのような信仰の姿勢が新たにされるレントの時を過ごしたいと願います。


アイキャッチ画像 thanks to congerdesignによるPixabay

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