いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。
ヨハネの手紙一 4章 12節
この聖句を読む時、スピルバーグ監督による1900年代の米国南部を舞台にした『カラーパープル』という映画のワンシーンを思い出します。人種差別や夫の暴力で過酷な人生を歩む黒人女性セリーは、ある日、わがままな白人の市長夫人に仕える、やはり黒人の女性ソフィアがお使いで街で買い物をするのを目にします。ソフィアはかつて夫を尻に敷く気の強い女性でしたが、ある事件をきっかけに夫や子と引き離されて今の状態となりました。雑貨店の中、変わり果てた姿で歩く彼女に、いやおうなしに周りから好奇の視線が突き刺します。気にしない振りで市長夫人から言いつけられた商品を探していると、目の前にセリーが現れてその商品を見つけてそっとソフィアに差し出しました。一言も発せず、ただソフィアの悲しみを全身全霊で分かち合うように見つめるセリーの目。
時が経ち、ソフィアは解放され家に戻り、この時の事をこう回顧します。「あの時私は思った。〝神はいる〟と。」自分と同じような辛い境遇の中にいるはずのセリーから受けた愛と優しさに、ソフィアは神の存在を見出すのです。
この目で見るまで神様なんて信じないという人もいるし、その気持ちも分かります。しかしながらこの聖句を読むときに、この小さなシーンを心に思い浮かべ「アーメン(本当に)」と言わずにいられない自分がいます。
あなたはどんな時に〝神は存在する〟と、思うでしょう?
M
アイキャッチ画像 Ioannis IoannidisによるPixabayからの画像