西川口キリスト教会 戸田 浩司
フランス人画家ミレーと、ミレーに影響を受けたゴッホがそれぞれ描いた「種まく人」という絵画があります。共に、一人の農夫が畑の中を歩きながら種を蒔く姿を描いています。古代の種蒔きは原始的で、地表に無造作に種を振りまくだけでした。たくさんの種を蒔いても実を結ぶまでに至るのはそのうちの一部だったのでしょう。朝だけではなく夜にも種を蒔けとコヘレトの言葉は語ります。それほどまで一生懸命に種蒔きをしなければならない理由は何なのでしょうか。どの種が実を結ぶのか、私たちには分からずじまいで、種蒔きが全くの徒労に終わってしまうからなのでしょうか。 しかし6節では、実がどこに結ばれるのかはわからないものの、あれか、これか、あるいは両方に実がなるのだと聖書は言います。つまりどこかに実はつくのです。無駄とも思える種蒔きが必ず報われる日が到来する、豊かな実を結ぶ日が必ず来るということです。聖書は決して無駄になるとは言っていません。 現在のこの新型コロナウイルスによる閉塞感が満ちた状況から脱するのは、なかなか容易ではないかも知れません。けれども昨年の3月8日の主日礼拝から、従来おこなってきた対面形式での礼拝を、文章による礼拝、さらにはユーチューブを用いたオンライン礼拝に切り替えて私たちは豊かな礼拝を主にささげています。困難な環境の中でも臨機応変に、さまざまな工夫を凝らしています。 使徒パウロはテモテへの手紙二4章2節でこのように命じています。 「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。」 風向きが悪くても雲行きが怪しくても福音の種を蒔き続けなさいと、私たちは神から期待されているように思います。そして神からの期待に応えようとする私たちの働きを神は豊かに用いてくださいます。私たちの働きの結果はすべて神に委ねて、風が吹いても雲行きが怪しくても種を蒔き続け、最善を尽くすものでありたいと願います。 |