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主日礼拝宣教要旨

2021年10月3日(日) 主日礼拝宣教要旨 「信じるという営み」 コリントの信徒への手紙二6章3-10節

「わたしたちはこの奉仕の務めが非難されないように、どんな事にも人に罪の機会を与えず、あらゆる場合に神に仕える者としてその実を示しています。」  
                コリントの信徒への手紙二6:3-4a

朴 思郁 協力牧師

 10月の第一週目の礼拝を教会の皆様と共に捧げることができますことを心から感謝申し上げます。本日の聖書を通して、私たちが信仰を持って生きるという意味について考えてみたいと思います。言い換えれば、神を信じるという営みは、私たちの生活と具体的にどのように関わっているのかについてです。
 まず、私たちが神を信じるという営みとは、「私は何者なのか」という理解をしっかり保つことです。いわゆる「自分のアイデンティティ」を常に確かめながら生きることです。使徒パウロは、自分が奉仕の務めを担っている「神に仕える者」という自己認識を示しています。パウロの自己理解は、波乱万丈のような人生の出来事を経て、新たにされてきました。要するに「神に仕える者」という自己理解は、固定された概念ではなく、開かれた心をもって、常に自己省察を重ねつつ、新たにされるものなのです。
 そして、神を信じるという営みとは、そのように新たにされる自己理解に基づいて、それにふさわしく生きるために最善を尽くすことです。パウロは、状況に翻弄されることなく、ためらわず、焦らず、冷静かつ慎重に状況を見極めながら、「神に仕える者」として自分の働きに励んでいたのです。私たちは、パウロの証しを通して、信じるということは、単なる観念的な事柄ではないということを教えられます。日常生活の中で起きている様々な出来事の中で、新たな自己理解に基づいて、具体的な実践を行っていくこと、それこそ信じるという営みなのです。
 最後に、神を信じるという営みとは、「神に仕える者」としての観点、見方を持って生きるのかということです。パウロは、自分のアイデンティティに相応しく実践することができた根拠について話しています。どんな状況に置かれていても、毅然として、神に仕える者として生きることができた原動力について語っているのです。信じるという営みは、いかなる状況においても、自分の状況判断を「キリストのために」、「神のゆえに」という観点から行っていくことです。私たちは、何が起こるか分からない人生の旅路の中にいます。使徒パウロの言葉から教えられる「信じるという営み」を積み重ねながら、誠実に歩み続けたいと願います。


アイキャッチ画像 Eddie KによるPixabayからの画像 

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