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主日礼拝宣教要旨

2021年1月17日(日) 在宅主日礼拝宣教要旨 「いついかなる場合にも」 フィリピの信徒への手紙4章10-13節

朴 思郁 協力牧師

「(わたしは)いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。4:13 わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」

フィリピの信徒への手紙4:12b-13節

フランスの小説家のポール・ブールジェは、「考えるがままに生きるべきである。さもないと生きているままに考えることになる。」 と言いました。箴言4章23節に「何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある。」と書いてありますように、自分の心を管理することの大切さを改めて思い知らされます。心の管理によって、常に平静さを取り戻す、いわゆる「復元力」を保てるからです。その「復元力」は、信仰に生きることによって維持できると思いますが、その意味について、パウロの言葉から考えてみたいと思います。
まず、信仰に生きることは、神を理解することであると言いましょう。有限の人間が無限の神を理解することは、不可能なことであると思われますが、本日の聖書に限って考えますと、神を理解することは、神はどのように働かれるのかを理解することと言えるでしょう。
私たちが信仰に生きるということは、私たちの信仰の友を通して、働かれる神の存在を常に感じながら、生きることです。一人で聖書を読んで、祈って、信仰生活すれば済むのではなく、私たちが教会共同体として呼び集められているのは、私たちそれぞれの姿、存在を通して、神が働かれるということを自覚しながら、信仰生活に励んでいきたいと願います。
また、信仰に生きるとは、いついかなる場合にも満足することです。私たちは、思いも寄らない出来事が起こり得る現実の中で、不安を抱えて生きていると言っても過言ではありません。何かが起きればそれで心配したり、何事がなくても何かが起きるかもしれないと不安感に苛まれたりすることもあるのです。しかし信仰に生きるとは、「自分の対応できる守備範囲」だけではなく、「いついかなる場合にも」、神が顧みてくださるということを覚えつつ生きることなのです。
最後に、信仰に生きるとは、イエスにゆだねて生きることです。この13節は、「わたしにはすべてが可能です」と、人々に勇気を与える言葉として知られています。しかし、13節は「わたしにはすべてが可能です」だけではなく、「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」と言います。言い換えれば、13節は、どんな境遇に置かれても、恐れることなく、立ち向かうことができるのは、ほかならぬ、自分を強めてくださる主イエスが、常に自分を励まし、助け、導いてくださるから可能であるということなのです。私たちのこれからの歩みが、しっかりと御言葉に根を下ろして、主と共に歩ませて頂く、恵み豊かな一年となりますよう心から願います。


アイキャッチ画像 Jeff JuitによるPixabay

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