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主日礼拝宣教要旨

2021年12月19日(日) 在宅クリスマス礼拝 宣教要旨「来ませり救い主」マタイによる福音書20 章 25-28 節

「人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」
マタイによる福音書20章28節

朴 思郁 協力牧師

 クリスマス、おめでとうございます!主イエスのご降誕をお祝いする今年のクリスマス礼拝は、昨年度に続いて対面礼拝ではなくライブ配信で捧げることになりました。そのような状況の中でも朝ごとに新たになる神の慈しみと憐れみによって生かされていることを覚えつつ、礼拝に臨むことができればと願います。本日の箇所には主イエスがこの世に来られた目的が最も明確に示されていると思います。
 まず、主イエスがこの世に来られた目的についてです。それは、「仕える」ということです。クリスマスは、神の子が人間としてこの世に来られたことを記念する日です。それゆえ私たちが覚えなければならないご降誕の意味は、仕えるためにこの世に来られた主イエスのように、私たちもこの世に仕える信仰のあり方を求められているということです。私たちがクリスチャンとして生きるとは、主イエスのようにへりくだって、隣人とこの世に仕えて生きることにほかなりません。そのようなご降誕に含まれている意味を改めて覚えるクリスマスを過ごすことができればと願います。
 もう一つ教えられるのは、「贖い」についてです。そもそも「贖い」は、罪を犯した人の罪責を誰かが代わりに払うことによって、その人が払わなければならない罪の代価を帳消しにするという法律的用語です。聖書は、「罪が支払う報酬は死で(ある)」(ロマ6:23)と言います。いかなる罪であっても、罪の代価は死であるという聖書の言葉の前に自由な人は誰一人もいません。すべての人が罪の代価である死のもとに置かれているのです。しかし神は、死のもとに置かれている人々を憐れんでくださり、神は贖いのために御子をこの世にお遣わしになりました。クリスマスを迎えて、救い主イエスがこの世に来られ、成し遂げてくださった「贖い」について改めて覚えることができればと願います。
 最後は、「謙遜」についてです。クリスマスは、主イエスの生き方にあらわれている謙遜の内容に満ちています。何より神の子が貧しくて弱い人々の間に人間として生まれたということに現れています。最も有名なルカによる福音書の降誕の物語は、御子イエスは、宿屋ではなく馬小屋にお生まれになったと記しています。すべての被造物を造られた神の子が飼い葉桶の中にその身を置かれていたのは、これ以上言葉に言い表せないほどの謙遜が示されているのです。主イエスはヘリくだって、十字架の死に至るまで従順であったという謙遜な生き方を覚えなければならないのです。クリスマスの意味を改めて覚え、「救い主は来ませり」と口ずさみながら、主イエスのご降誕をお祝いできればと願います。


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