朴 思郁 協力牧師
「死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう。」
ヨハネの黙示録2章10節b
2020年の最後の主の日を迎えて、ヨハネの黙示録を通して、一年の歩みを振り返りながら締めくくりたいと思います。ヨハネの黙示録2章から3章には、エフェソをはじめとする7つの教会に宛てられた手紙が記されています。本日は、7つの教会のうち、称賛だけを受けた教会の一つであるスミルナにある教会を通して、私たちの一年の歩みを振り返ってみたいと思っています。
まず、聖書から教えられる一つは、教会は常に苦しみの中にあるということです。
教会が苦しみの中にあることが決しておかしなことではありません。つまり、この世の中で信仰に生きる際には苦しみが伴うということを教えられるのです。もちろん、時代と文化によって、教会が直面する苦難の内容や程度は、異なるかもしれませんが、私たちは、いかなる苦難に際しても、「あなたは、受けようとしている苦難を決して恐れてはいけない。」(10節)という言葉を思い起こしていきたいと願います。
もう一つは、主イエスの物差しは、どんなものなのかということです。スミルナの教会は、この世の判断基準や評価からみると決して好ましい条件ではありませんでした。しかしスミルナの教会が苦難と貧しさを抱えていることに対して、「わたしは、あなたの苦難や貧しさを知っている。だが、本当はあなたは豊かなのだ。」(9節)と言われた言葉に示されている主イエスの物差しは、この世の物差しとは違うものでした。
私たちは、新型コロナの感染拡大のため、3月から礼拝堂に集まってささげる対面形式を変えて、ユーチューブや文書を用いてささげる非対面形式の礼拝を捧げてきました。10ヶ月の間、心をつくしてご奉仕を捧げてくださった方たちによって成り立ってきた礼拝は、私たちが慣れ親しんできた礼拝に比べて、質の劣る礼拝ではないと思います。主イエスは、「死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう」という言葉に示されている、「忠実であれ」という主イエスの物差しで私たちを評価してくださると思います。その主イエスに支えられ、これからも主と共に歩調を合わせて、手をつないで、教会の働き、またそれぞれの信仰生活に励んでいきたいと願います。