西川口キリスト教会 石井 鉄也
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
マタイによる福音書1章23節
マリアの奇跡的受胎に直面したヨセフは、悩んだ末に、マリアのことを「表ざたにすることを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心」しました。マリアと産まれてくる命を守るため、ヨセフが出来る精一杯の決断であり、ヨセフは律法的な正しさを超えて、他者への愛にあふれた決断する「正しい人」であったと言えます。
しかし、主の天使からヨセフは、「恐れず」マリアを迎え入れ、生まれてくる子供に名前をつけることを求められました。そこで彼は御言葉に従って、よって「逡巡」することなく、神から示された新しい道へと進みだしたのでした。23節では、生まれてくる子供の名前について、「イエス」という名前と共に、もう一つの「神は我々と共におられる」という意味である「インマヌエル」という名前が記されています。神様は、聖霊によりマリアに独り子イエスの命を委ね、その独り子の運命、救い主としてのイエスを危険から守るための役割をヨセフという一人の男に委ねました。
このような神様の途方もない計画に対して、ヨセフは、「インマヌエル」という神の御言葉を信じ、自分がその役割を担うことを決心したのです。
私たちは、「神は我々と主におられる」ということを、「いつも神様が我々と共にいて助けてくださる」と思いがちですが、そうではなく、神様の御業を我々に委ね、我々をそのために用いようとしている、そのための課題を我々にも担ってほしいと願っておられるという事なのです。そして、その御心を受け止めて、神様に従い、神様から与えられる課題を背負っていく信仰の決心をすることにおいて、我々は、インマヌエル、神は我々と共におられるということを体験できるのです。ヨセフにとってのクリスマスは、想像もできない苦悩の中で、神の言葉を信じ、すべてを神に委ね、神様から与えられた自分の役割を担いつづけていくという決心であったのです。
アイキャッチ画像