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主日礼拝宣教要旨

2020年6月21日(日) 礼拝宣教要旨 「足るを知る信仰」フィリピの信徒への手紙4章10-14節

朴 思郁 協力牧師

「(わたしは)いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」

フィリピの信徒への手紙4章12b-13節

「足るを知る」とは、中国の老子の言葉で、「足るを知る者は富む」という意味の言葉に由来した言葉です。つまり、「無いもの」「不足しているもの」に注目するのではなく、「足りてるもの」「すでにあるもの」に注目すれば幸せになると老子は説いたのです。まさに古今東西を問わずに、如何にして今の生活の中で満足を見いだせるのかという事柄は、私たち人間には極めて大切なテーマであると思われます。

本日の箇所は、ローマにある牢屋に入れられているパウロがフィリピの教会の人々からの支援に対する感謝の気持ちを表している内容です。その内容から私たちは「足るを知る信仰」について考えることができると思います。とりわけ幾つかのパウロの言葉に注目したいと思います。その一つは、「習い覚えた」という言葉です。「わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです」(11節)から、「足るを知る」生き方は、何もしなくても、自然に身につくことではなく、自らの意志をもって、積極的にそのような姿勢を学ぼうとする努力が必要であることを教えられます。

もう一つは、「知る」という言葉です。「貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています」(12節)という言葉にある「すべを知る」ことは、単に臨機応変に対応することを意味するのではなく、自分の新たな生き方を具体的に現実に当てはめてみることを意味すると思われます。信仰の生き方というのは、単なる観念や抽象的理念に留まるのではなく、地に足のついた、具体性、現実性を持たなければならないからです。

最後に、「授かる」という言葉です。12節にある「秘訣を授かる」という言葉の「授かる」とは、「かけがえのないものをいただく」という、ある意味、受け身の姿勢の言葉です。続く「わたしを強めてくださる方のお陰で」(13節)というパウロの言葉は、「主イエスこそが秘訣の源」であることを示しています。パウロの言葉を思い出しながら、今も私たち一人ひとりを強めてくださる方が伴ってくださることを覚えつつ、それぞれの生活に励んでいきたいと思います。

アイキャッチ画像 Thank you!! to shell_ghostcageによるPixabayからの画像 

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