西川口キリスト教会 M.I
イエスは立ち止まり、二人を呼んで、「何をしてほしいのか」と言われた。
マタイによる福音書20章32節
本日の聖書からイエス様がどのような方かということがよくわかります。イエス様のこの二人の目の不自由な人への関わり方がそれを示しています。周囲は群衆に囲まれ騒がしい中でしたが、イエス様は二人の叫びを聞き立ち止まります。そして「何をしてほしいのか」とあえて尋ねます。すべてをご存知のはずのイエス様ですが、まず本人の話を聴こうとされます。信仰というのは、即答や正解を得るのではなく、自ら問い続け考え続けることであると教えられます。この問いがなければ、二人はイエス様と関わることはなかったでしょう。二人は「目を開けていただきたいのです」と応答します。イエス様は目に触れて癒されます。私たちの問題そのものに触れ向き合ってくださり、はらわたがちぎれる想いがするほどの深い憐れみをもって求めに応じてくださいます。
マタイによる福音書1章23節には、「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。」とあるように、イエス様はインマヌエルの主として生まれ、生涯を全うされ、今も生きて共におられる方です。私たちがどうあれ、傍に存在し続けてくださる方です。
今、世界的なコロナ危機の中にあり、今までの当たり前が通じない状況となり、大きく方向転換を迫られています。しかし、どんな状態であっても、一人一人の傍らに主イエスはおられます。立ち止まり「何をしてほしいのか」と問いかけ、私たちに耳を傾けてくださる主イエスがおられることを改めて覚えたいと思います。
「何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、
愛の神であるイエス様に素直に打ち明けてみましょう。必ず、聴いて応えてくださいます。そして、信頼し安心して歩んでいける幸いを感謝しましょう。お互い神様から愛されていることに目を向け、イエス様のようにお互いを聴いていくものになりたいと願います。