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主日礼拝宣教要旨

2020年4月26日(日) 礼拝宣教要旨 「隣人愛の実践」 ルカによる福音書13章1-9節

朴 思郁  協力牧師

「園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。』

ルカによる福音書13章8-9a節

本日の聖書には、イエスの時代にユダヤ社会に衝撃を与えた二つの大惨事が紹介されています。その一つは、ユダヤ総督ピラトがガリラヤ人たちを殺して、彼ら犠牲者の「血をいけにえに混ぜた」という恐ろしい出来事でした。もう一つは、シロアムの塔の工事中に、塔が崩壊する事故が起きて18人が死亡した悲しい出来事でした。当時のユダヤ人たちの慣習的思想の中には、ある人に襲いかかった不幸は、その人が犯した罪が招いた結果であると受け止める傾向がありました。

つまり、反ローマ抵抗運動のため無残にも処刑された人たち、また塔の崩壊事件によって死亡した人たちは、他の人よりも大きな罪を犯した故に、むごたらしい死に方をしたとみなされました。イエスは、当時の社会に通用されていた因果応報的な「災禍理解」に異議を唱えました。被害者たちは、自らの過ちや罪の故に災難に見舞われたのではなく、政治的、社会的な状況や不正によって犠牲となったということを明らかにし、生きている人たちの生き方を見つめ直さなければならないことを促されているのです。

私たちは、イエスの二つの大惨事に関する見解に続くたとえを通して悲劇に見舞われた時に、信仰者として持つべき姿勢について教えられます。たとえの中で、園丁は実を結ばないために主人に怒られている「いちじくの木」を「他人事」にせずに、「自分事」として受け止めて、共に悩み、痛みを覚えるのです。いわゆる「当事者意識」、「連帯意識」を持つことです。また園丁は状況を的確に見極めながら、解決策を見つけようと、自分の出来る限りの最善を尽くそうという「責任意識」を持つのです。

今日のコロナ感染症による危機的状況に直面している私たちが隣人愛を実践することとは、他ならぬ、「当事者意識」と「責任意識」をもって生きることです。言い換えれば、私たちの生き方が、人間中心的、自己中心的な生き方から、「存在するすべてのものを尊重しながら共に生きる」という意識に変えられること、そして、現実的課題として、手洗いの徹底をはじめマスクの着用、ソーシャルディスタンスを保つことなど、予防対策に専念することが、今日における隣人愛の実践であると思います。

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