斎藤 信一郎 牧師
この話をしてから八日ほどたったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。
ルカによる福音書9章28節
今回の箇所で「八日ほどたったとき」とは、前回で取り上げた箇所であるガリラヤ湖の湖上を弟子たちの舟の所まで歩いて行った奇跡の後日を指します。主イエスは絶えず祈るために山に登られました。前回箇所のようにひとりで祈ることもありました。今回の箇所やゲッセマネの園での祈りのように弟子たちを伴って祈ることもありました。現代風に言えば、主イエスは個人的な祈りと教会での祈りの両方を普段から大切にしていたことが伺えます。そして、今回の箇所で注目したいのは、主イエスが共に祈りを大切にしたのはどういう弟子たちだったかということです。
今回の箇所は前回同様に、他に二つの福音書で取り上げられており、複数の福音書記者たちが重要だと受け止めた出来事の一つです。その一方では、ルカ版には他の福音書にはない記事が31~32節にかけて存在します。一つは主イエスが間もなくエルサレムにおいてどのような最後を遂げることになるのかを話していたということ。そして、もうひとつはモーセとエリヤという旧約聖書の二大預言者が現れて主イエスと語り合っているのを目の当たりにしながらも、ペトロと仲間たちは、ひどく眠気を催し、じっとこらえていたことが報告されています。本来ならば、目がはっきりと覚めてもおかしくない世紀の出来事を目の当たりにした三人の弟子たちでしたが、彼らは眠気に勝てなかったというのです。しかも、ペトロは主イエスが間もなく直面する厳しい受難に関する内容に心を痛めるよりも、歴史的な三者会談が行われている現場に居合わせたことに対して祈念碑を建てたいという見当違いの発言をしてしまいます。
旧約聖書で大活躍をしたモーセやエリヤにしても、新約聖書で注目される弟子たちも、共に様々な人間的な欠点や信仰の未熟さを多く持っていた人々です。それでも35節にあるように、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と神は語り、主イエス同様に弟子たちの実績や欠点などに関わらず、将来に信頼を寄せて下さっていることが表現されています。その延長線上には私たちも含まれていることを励みに、今週も共に主の模範に従って参りましょう。
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