斎藤 信一郎 牧師
イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を
マタイによる福音書 19章21節
「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」期待を寄せて質問した青年に、 主イエスは聖書に既に答えが示されていると答えます。「どの教えですか」との質問にモーセの十戒の一部と 隣人を自分のように愛する箇所を示します。彼は真剣に自分の人生をより良くしようと努力していましたが、 主イエスの答えは彼が期待していたものとは違いました。そんな彼にイエスは「もし完全になりたいのなら、 行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わ たしに従いなさい。」と言われます。その意味とは、彼が自分の自由にできると思い違いをしていた財産(に 代表されるあらゆる人生の二義的なもの)への執着を断ち切り、主イエスに従って生きる人生を選び取るこ とを意味していました。なぜなら、永遠の命は努力の積み重ねによって獲得していくものではなく、神と主 イエスに従って歩む人生そのものを意味するからです。主イエスに従って生きる人生を歩み始める時、人は 永遠の命に満たされた神の国に生きる者とされていくのです。 主イエスの言葉を受け止めることができなかった青年を見て、「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針 の穴を通る方がまだ易しい。」仮にらくだが針の穴を奇跡的に通ることができたとしても、人間が神の国に自 分の努力で入ることはそれ以上に不可能だと言います。私たちには人生の導き手である主イエスが必要不可 欠なのです。今回の箇所に登場した青年は、真剣に人生を生きようとするすべての人の代表です。そのよう な人でも、主イエスの招きに従って生きることは容易ではありません。それでも主イエスは人生の最後の最 後まで、すべての人を分け隔てなく永遠の命に生きる祝福へと招き続けておられます。召天者記念礼拝は、 神が出会わせて下さったかけがえのない人々との人生を振り返り、感謝する時です。同時に、神がみ心とさ れる人生に正しく目を向けて生きているかどうかを振り返る時なのです。