斎藤 信一郎 牧師
<原則として、ご自分で聖書本文を読み、黙想してから以下の文章、聖書教育誌、その他の参考文献を読むことをお奨めします。また、黙想の際に聖書地図で確認し、違う聖書訳を比較して読むこともお奨めします。>※『聖書教育』誌は日本バプテスト連盟から発行されています。詳細は下記のURLでご照会下さい。 http://www.bapren.com/index.html (『聖書教育』ホームページ)
◆黙想と分かち合いのポイント
現代の教会も、様々な分野で支援活動をすることが求められています。私たちは現在、どのような支援活動を行っているのか、この機会に振り返るのも良いでしょう。また、どのような優先順位で支援を行っていくのが良いのか、考えさせられるテーマもあります。
◆贈り物への感謝
4:10 さて、あなたがたがわたしへの心遣いを、ついにまた表してくれたことを、わたしは主において非常に喜びました。今までは思いはあっても、それを表す機会がなかったのでしょう。4:11 物欲しさにこう言っているのではありません。わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。 4:12 貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。 4:13 わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。
>>>フィリピの信徒たちがパウロに対して、以前から活動支援をしたきたことが伺えます。パウロは支援への感謝を伝えると共に、クリスチャンとしてどのような信仰姿勢でいるべきかについて、フィリピの信徒たちを励ましています。どんな境遇でも喜べる信仰、感謝できる信仰。フィリピの信徒への手紙の主題と一致します。
4:14 それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました。 4:15 フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。 4:16 また、テサロニケにいたときにも、あなたがたはわたしの窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました。
>>>現在のヨーロッパ圏に、最初に伝道を開始したのがフィリピの地でした。それほど長い滞在ではなかったにも関わらず、フィリピの信徒たちが、その後もパウロの宣教活動をどのように支援し続けたかが語られている貴重な資料です。しかも、その支援は「何度も」と書かれている通りだったことが分かります。
4:17 贈り物を当てにして言うわけではありません。むしろ、あなたがたの益となる豊かな実を望んでいるのです。 4:18 わたしはあらゆるものを受けており、豊かになっています。そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです。 4:19 わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。 4:20 わたしたちの父である神に、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。
>>>18節から、フィリピの教会は、エパフロディトという教会員に贈り物を持たせてパウロを訪問させたことが伺えます。彼は2章25節以降の内容からすると、単に贈り物を届けただけでなく、パウロの宣教活動を手伝ったようです。そして重病となり、生死をさ迷った末に命を取り留めたことが語られています。
私たちが神からいただいているあらゆる祝福、すなわち財産、健康、命は、もともとすべて神から与えられているものであり、隣人のために用いる分が含まれているという十分の一献金の信仰、そして、神が与えて下さっている様々な賜物を御心に叶うように用いるというスチュワードシップの精神が垣間見えます。パウロは、フィリピの信徒たちの支援を「神が喜んで受けて下さるいけにえ」と表現し、19節では、「神が必要なものをすべて満たして下さる」と語り、このことを強調しています。すなわち、フィリピの信徒の支援に感謝しつつ、もともとそれこそがフィリピの信徒たちに神が望んでいた宣教の働きであり、そのための備えをあらかじめ与えて下さっていたという理解です。フィリピの信徒が特別に裕福だったとか、生活にゆとりがあったわけではないでしょう。それでも、常にパウロという宣教師と世界宣教のために、自分たちにできる最善のことを行い続けたフィリピの信徒の模範に励まされます。
アイキャッチはRudy and Peter SkitteriansによるPixabayからの画像 です