斎藤 信一郎 牧師
「そこで、主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人になるべきです。」使徒言行録1章21-22節
聖霊降臨日までの間、弟子たちは真剣に祈りながら、彼らのなすべきことを聖書のみ言葉の中に探し求めていました。その結果、ダビデが書いたとされる詩編の69編や109編に重要な預言がなされていたことを理解するに至ります。それらは迫害の中にある人の心からの祈りであり、叫びのような言葉ですが、彼らはそれを主イエスの受難を預言している箇所と理解し、合わせてイスカリオテのユダについて示唆している箇所だと理解したのです。そして、み言葉に促されて十二使徒の欠員補充をすることになります。
紀元300年代に活躍した「教会史の父」と呼ばれる歴史家であり、カイサリアの司教も務めたエウセビオスによると、この時に候補となった二人は、主イエスによって町々に福音宣教のために派遣された72人の内にいたとされています。バルサバの名前の由来は「サバット」即ち「安息日(生まれ)の子」という意味と、「老齢の(時に与えられた)子」という意味だと考えられています。同様に、ユストとは英語表記で「Justus」と書き、「正しい者」を意味し、ユダヤ教からキリスト教徒に改宗した人がしばしば用いた名前だったようです。選ばれたマティアについては、その名前の由来もその後の活躍も聖書に記述がありません。いずれにしても、十二弟子以外にも当時、キリストの宣教の早い段階から共に福音宣教に携わった弟子たちが多数いたことが改めて確認できる聖書箇所です。大切なのは、聖霊降臨以後に、すべての弟子たちが十字架のあがないとキリストの復活を聖霊に導かれながら全世界に向けて宣教したということです。今回の箇所は、限られた状況の中で、より正しい福音理解を示されながら最善を尽くした弟子たちの姿が強調されています。その基本は祈りとみ言葉による裏付けでした。これは神学校で学ぶ神学生たちが大切にするように求められる信仰姿勢であり、私たちへの模範でもあります。