<原則として、ご自分で聖書本文を読み、黙想してから以下の文章、聖書教育誌、その他の参考文献を読むことをお奨めします。また、黙想の際に聖書地図で確認し、違う聖書訳を比較して読むこともお奨めします。>
◆黙想のポイント
前回は17章において、主イエスがエルサレムへ向かう途中に10人の重い皮膚病を患っていた人々を癒す箇所でした。今回は、受難と十字架のあがないを飛び越して、復活後の話に移ります。聖書教育誌の意図はどこにあるのでしょうか。今回はいつものように前回からのあらすじを追うことは止め、聖書本文に集中することにします。
※『聖書教育』誌は日本バプテスト連盟から発行されています。詳細は下記のURLでご照会下さい。 http://www.bapren.com/index.html (『聖書教育』ホームページ)
◆エマオで現れる
24:13 ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、 24:14 この一切の出来事について話し合っていた。(11㎞⇒1スタディオン185m換算)
>>>「ちょうどこの日」とは、24章の冒頭で語られているように、女性たちが週の初めの日である日曜日の朝に墓に行ったが、主イエスの遺体がなかった日のことをさすのでしょう。神の御使い二人が主イエスの復活を告げ、主イエスが生前に受難と復活について預言していたことを思い出させます。その報告を聞いたペトロが墓に確認に行く話が続きますが、ルカの描写では、ペトロや女性たちも含めて復活の主イエスに再会していないという前提です。ルカによる福音書では、エマオに向かう二人の弟子が復活の主イエスに出会った最初の証人です。
◆24:15 話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。24:16 しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。 24:17 イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。 24:18 その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」 24:19 イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。 24:20 それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。 24:21 わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。 24:22 ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、 24:23 遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。 24:24 仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」 24:25 そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、 24:26 メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」 24:27 そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。 24:28 一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。 24:29 二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。24:30 一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。 24:31 すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。
>>>21節の描写などから、クレオパという弟子は、民衆と同じように、主イエスに対してローマ帝国の支配からイスラエルを開放してくれる指導者としての救い主を期待していたことが伺えます。主イエスの再三に渡る受難と復活予告や、復活後に女性たちから二人の御使いが主イエスの復活を語ったことを聞いても、理解できていなかったことが分かります。25節で主イエスが嘆かれるのは、このような経緯があったからでした。ルカはその説明として16節で「二人の目は遮られて」いたと語り、主イエスが生前に行っていた主の晩餐を連想させる動作を見て、31節「二人の目が開け」て主イエスだと分かったと語ります。しかも、彼らの目が開けた途端に主イエスの姿が見えなくなったことを報告しています。復活の主イエスとの再会は、弟子たちに決定的な変化をもたらしています。
◆24:32 二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。 24:33 そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、 24:34 本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。 24:35 二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。
>>>「時を移さずに出発して」とは、日が暮れたにも関わらず、宿泊予定だった宿を後にして再びエルサレムに戻ったことを意味します。彼らの喜び、そして少しでも早く他の弟子たちに報告したいという気持ちが伝わって来ます。復活された主イエスとの出会いによって変えられていくキリスト者の人生について考えさせられます。