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主日礼拝宣教要旨

2019年3月24日(日) 礼拝宣教要旨 「神に義とされる幸い」創世記15章1-6節

斎藤 信一郎 牧師

『アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。』

                                                                      創世記15章6節

 ダマスコ(カナン地方北部)の約400㎞北方にあったハランの地で神が最初にアブラムに現れてから、主の言葉がアブラムに臨むのは今回で4度目になります。アブラムが願っているように展開しない人生でしたが、神は忍耐強く寄り添い、重要な局面で彼に励ましと進むべき道を示されます。彼は行く先々で祭壇を築いて礼拝を献げ、神のみ心を求めながら生きることの大切さを理解しはじめています。しかしながら、人生において長い期間祈り求めていても、神のみ心がどこにあるのか、そして願いがどう叶えられるのか分からない時があります。アブラムは、75歳でカナンへ旅立ち、80歳を越えて徐々に将来への不安が増していた時期だと考えられます。揺れるアブラムに神は現れ、恐れないこと、また彼が受ける報いが今後も非常に大きいと告げます。
 これまでなら、神の言葉をすぐに信じて聞き従ったアブラムでした。しかし、今回は反論します。原因の一つは、彼の財産を相続させる実子が長年祈り求めても与えられないことにありました。2節に、彼がダマスコ出身のエリエゼルという僕に財産を相続させることにしていたことが語られています。神は彼を外に連れ出し、子孫が夜空に浮かぶ満点の星空のようになると励まします。そしてアブラムから生まれる実子が彼の後継者になると宣言します。
 この神の約束は、簡単に信じることができる内容ではありませんでした。しかし、アブラムはこの約束を信じて生きる決断をします。この信仰こそ「信仰によって義とされる」という生き方です。使徒パウロもローマの信徒への手紙4章で、この時のアブラムに言及し、信仰による義の信仰について語っています。しかも、この信仰こそ主イエス・キリストを信じる信仰に通じると語っています。
 人生には神の約束の実現の時を忍耐強く待たなければならない時があります。また、私たちの願いとは違う方法で神が人生を祝福されるご計画がある時もあります。そのような時こそ、信仰によって義とされる道を神は導いて下さいます。

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