斎藤 信一郎 牧師
<原則として、ご自分で聖書本文を読み、黙想してから以下の文章、聖書教育誌、その他の参考文献を読むことをお奨めします。また、黙想の際に聖書地図で確認し、違う聖書訳を比較して読むこともお奨めします。>
※『聖書教育』誌は日本バプテスト連盟発行の教会学校教案誌です。詳細は下記のURLでご照会下さい。 http://www.bapren.com/index.html (『聖書教育』ホームページ)
◆黙想のポイント
前回11章で弟子たちに祈りについて教えてから、今回の箇所までには多くの出来事が語られています。特徴として、ファリサイ派の人々と律法学者が、主イエスを悪魔の側の人間として非難するようになってきていること。そして、主イエスの方でも強烈な言葉で彼らの信仰上の問題点を指摘することが多くなってきていること。そのような流れの中で、今回の箇所でイエスは、問題の根源はすべての人々に関わることだと、訪ねてきた人々に語ります。人類共通の深刻な課題とは何でしょうか。その課題とどのように向き合うことが求められているのでしょうか。
◆悔い改めなければ滅びる
13:1 ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。13:2 イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。
>>>この事件は、衝撃的なニュースとして当時のユダヤ人社会を騒がせたことでしょう。ユダヤ人にとって、人間の血と他の動物の血を混ぜることは、邪悪で極めて屈辱的な死に方を意味していたと考えられます。そのような最後を遂げた人が神に愛されていたはずがない、と考えたとしても不思議ではありません。しかし、主イエスには別の見方がありました。弟子たちが最悪の事件だと受け止めていた出来事を、主イエスは日常的に起きる「災難に遭った」こととして語っていることからも分かります。それと連動するように次の節では、それらの人々が他のユダヤ人よりも罪深いわけではない、「決してそうではない」と断言します。
13:3 決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。 13:4 また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。 13:5 決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」
>>>主イエスは、私たちが真剣に向き合わなければならないのは、別次元の大問題の方だと語ります。そして、それを回避するためのカギは、ひとり一人が神の御前で悔い改める=方向転換できるかどうかにかかっていると言いました。それでは、何をどのように悔い改めることが求められているのでしょうか。一つは、無念の死を遂げた犠牲者たちへの憐れみの心を失ってしまっていたことだと言えます。また、それらの犠牲者の遺族の深い悲しみに寄り添う気持ちも、報告に来た人々には感じられません。そのため、次のたとえを主イエスは語られます
◆「実のならないいちじくの木」のたとえ 参照エレミヤ8:13(1191p)、ホセア9:10(1413p)、ミカ7:1(1457p)
13:6 そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。 13:7 そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』13:8 園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。13:9 そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」
>>>通常、いちじくの木は三年で実を付けるといいます。いちじくの木も三年でそれなりに地面に根を張り、実を付けるための栄養分を地中から吸収することが出来るようになります。園丁が対策として「木の周りを掘って、肥やしをやってみます」と言ったのは、問題が地下の見えない木の根っこにあると判断したからでした。人は実際に起きている事実に基づいて判断しがちです。しかし、園丁がいちじくの木の見えない根っこに根本的な問題点を見出し、対策を講じようとしたように、私たちも根源的な課題、即ち神に正しく信仰の根を張ることに目を向ける必要を教えられます。世の人々のような基準で他人を裁く代わりに、主イエスのように例外のない、すべての人へ憐れみの心と愛のまなざしを向けることの大切さを教えられます。
今回の箇所と合わせて12章4~7節の主イエスの憐れみと希望の言葉で締めくくられる聖句を参照しましょう
12:4 「友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。 12:5 だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。 12:6 五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。 12:7 それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」