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主日礼拝宣教要旨

2019年1月20日(日) 礼拝宣教要旨  「祝福の基」 創世記12章1-9節

斎藤 信一郎 牧師

「アブラムは、そこからベテルの東の山へ移り、西にベテル、東にアイを望む所に天幕を張って、そこにも主のために祭壇を築き、主の御名を呼んだ。アブラムは更に旅を続け、ネゲブ地方へ移った」
                                                                                                         創世記12章8-9節

 もともと父テラと親族と共に、ペルシャ湾に近いユーフラテス川付近にあったカルデヤのウルから、カナン地方への旅を始めたアブラムでした。しかし、地中海に近いイスラエルの北にあるハランで旅は中断し、そこで父テラは生涯を閉じます。神はアブラムに旅を継続するように語りかけます。また、75歳に達していたアブラムを大いなる国民にし、アブラムを「祝福の源」とすることを宣言されます。なぜ、アブラムがそのような使命を担う器として神に選ばれたのかを創世記は私たちに考えさせます。
 神の指示に対し、アブラムは分からない点を質問したり、彼が抱いて当然の旅の不安などを訴えることなく、聖書は彼が従順に神の言葉を実行に移したことを伝えています。私たちの人生もまた、疑問と不安が常に伴います。時にはアブラムのように全てを神に委ねて前に進む信仰が必要だと示されます。アブラムがカナンの地に入り、シケムという今後も登場する場所に到着すると、神は彼にではなく、彼の子孫にその土地を与えるという疑問の残る約束をします。アブラムは主の約束を覚えるため、また現れて下さった神に礼拝を献げるためでしょうか、そこに祭壇を築きます。このような神を礼拝する場所を要所、要所で築きながら旅を続けるアブラムの姿を今後も見ることになります。ここに信仰の父と称されることになるアブラムの模範があります。
 しかし、その土地は彼が定住する場所ではなかったため、旅を続けます。次に彼が期待を持って神に自主的に祭壇を築いて礼拝を献げたのがベテルとアイの町が望める山合でした。そこで彼は「主の御名」を呼んだとあります。御心を求めて祈ったことを示しています。しかし、そこでは特別な答えもなく、引き続き忍耐強く旅を続けていくアブラムでした。人類を祝福される神の僕者たちへの避けて通れない信仰成長の道のりを示唆するアブラム物語の始まりです。

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