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主日礼拝宣教要旨

2019年11月24日(日) 礼拝宣教要旨 「主に遣わされて生きる」ヨハネによる福音書20章19-23節

朴 思郁 協力牧師

イエスは重ねて言われた。『あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。』

ヨハネによる福音書 20章21節

 

「世界バプテスト祈祷週間」を迎え、世界伝道を覚える礼拝を通して、改めて主イエスの言葉から「宣教」について考えてみたいと思います。とりわけ復活後の主イエスが弟子たちと遭遇する箇所には、宣教に関する大切な事柄が示されているように思われます。

まず、主イエスは、弟子たちに「あなたがたに平和があるように」と言われてから彼らを遣わされました。聖書における「平和」とは、単なる戦争や争いのない状態を意味するより、「完全または完璧に満たされる」という意味として、すべてのものが本来の姿を取り戻した状態をあらわします。つまり、神との関係、人間との関係、被造物との関係など、本来持つべき姿を回復することです。宣教は、神との関係を取り戻すことだけではなく、人間同士の関係、さらに自然界を含む全ての被造物との関係を回復することを含むのです。

具体的に言えば、インドネシアの野口日宇満・佳奈宣教師やカンボジアの嶋田和幸・薫宣教師、シンガポールの伊藤世里江AMC(アジア・ミッション・コーディネーター)などのように、神学教育や教会奉仕に携わっている、いわゆる「伝統的な宣教」もあれば、ルワンダの佐々木和之IMV(国際ミッション・ボランティア)のように、ジェノサイド以降の平和構築を目指して、人間同士の壊れた関係性を取り戻すための宣教の働きも必要なのです。さらにこれからの時代は、生態系を大切にすることが重要な宣教の課題になっていくと思います。連盟の中長期大綱、「和解のつとめに仕える」は、他ならぬ、そのような関係性を取り戻すための働きに取り組んでいく「今日の宣教的使命」をあらわしているのです。

また主イエスは「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」と言われています。宣教とは、国外に派遣されている「働き人」だけに限らず、私たち誰もが、主によってこの世に遣わされていることを教えられます。「キリストのおられる心が宣教師であり、キリストのおられない心が宣教地である」という言葉は、まさに私たち一人ひとりも例外なく、それぞれの「地の果て」である、キリストの愛を知らないまま生きている人たちのために、主によって遣わされているという使命と責任を促しているのです。


アイキャッチ画像 thanks to stokpicによるPixabay

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