西川口キリスト教会 斎藤 信一郎 牧師
『ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。』
ルカによる福音書 1章 60節
生まれて8日目の赤ん坊に割礼を施すことは、イスラエルの祖とされるアブラハムの時代からのしきたりでした。その日に名前を付けるようにもなっていました。これに従って親戚たちが彼らを祝福するために集まりました。祭司の家系にあって、後継者を授かることは人生の一大使命のように大切な意味を持っていました。そのため、不妊のまま高齢になっていたエリサベトにとっては、人生の一大転機を意味する出来事でした。しかし、一方では不安もありました。夫ザカリアが神殿で天使の御告げを受けたことを知り、息子を授かること、生まれた時に付けるべき名前、そして将来の特別な使命を夫から知らされていたからです。その出来事以来、夫は口が利けなくなっていました。
親戚たちはしきたりに従って、家系の中から子どもの名前を推薦しようとしますが、エリサベトは強い口調で「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と主張しました。夫の神殿奉仕での出来事を知って、彼女自身も信じたからです。ヨハネとは、「主は慈しみ深い」という素晴らしい意味の名前でしたが、家系にはない名前でした。そこで一同がザカリアに確認すると、ザカリアは「この子の名はヨハネ」と板に書いた途端に口が再び利けるようになり、その口からは主への賛美が溢れ出しました。
人生には人それぞれに違った試練や苦しみがあります。しかし、神はそんな私たちの重荷を共に背負うために、み子イエス・キリストをこの世に遣わして下さいました。バプテスマのヨハネは、主イエスへと当時の人々を導く大切な役割を果たしていきました。人生には歌う気分になれない辛いときもたくさんあります。しかし、辛いときにもそれをそのまま神は受け止めて下さり、祈りや賛美に変えることができるというのがキリストの教えです。そのキリストへと、人々をクリスマスの時期につなげて参りましょう。