西川口キリスト教会 斎藤 信一郎 牧師
◆今月の主題…「キリストのご降誕・復活・再臨の希望」
聖書教育誌は主イエスの降誕物語の前に、主イエスの復活物語から始める意義を見出す試みをしています。再臨もまた、キリスト教会において、クリスマスと共に大切にされて来ました。クリスマスが復活・再臨とどう結びつき、私たちの希望につながるのか、ご一緒にみことばに聞いて参りましょう。
<原則として、ご自分で聖書本文を読み、黙想してから以下の文章、聖書教育誌、その他の参考文献を読むことをお奨めします。また、黙想の際に聖書地図で確認し、違う聖書訳を比較して読むこともお奨めします。>
※『聖書教育』誌は日本バプテスト連盟発行の教会学校教
◆黙想のポイント
マタイは収税所で徴税をする仕事をしていた人物でした。当時のユダヤ人男性は、日ごとの祈りの中で、奴隷、徴税人、そして女に生まれなかったことを感謝するような時代でした。その彼が、主イエスと出会って人生を180度変えられます。彼が書いた福音書の随所に、人々に軽んじられていた人々が登場するのも、そのような背景があるからかも知れません。主イエス・キリストの系図や、これからのマタイによる福音書を読む時に大切にしたい視点です。系図の中にどのようにマタイらしさが出ているのか、黙想しながら読みましょう。
◆イエス・キリストの系図
1:1 アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。
>>>マタイはアブラハムとダビデの子を、主イエスにつながる代表的かつ最重要人物として、冒頭で強調しながら系図を書いて行きます。アブラハムについては聖書教育誌があげている次の箇所を参照すると・・・
◆創世記12章1-3節(新共同訳15p)
12:1 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。12:2 わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。12:3 あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」
*アブラハム物語の最初に、旧約聖書はユダヤ民族だけでなく地上のすべての民が、アブラハムとその子孫を通して神の祝福に入ることを語っています。このように持ち上げられるアブラハムですが、彼は神を非常に素直に信じてすぐに行動を起こした生き方をした反面、神の御心を十分に求めずに行動を起こし、特に他国の王様に対し、妻のサライを自分の妹と偽るなどの罪を犯しています。旧約聖書はそのような人間の過ちを隠さずに残している書物です。そのことが随所で見られ、次のダビデでも同じです。
◆イザヤ書9章5-6節(1074p)
9:5 ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。9:6 ダビデの王座とその王国に権威は増し/平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって/今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。」
*イザヤ書9章はキリスト誕生の預言が多く書かれています。この箇所もその一つとして取り上げています。この預言では、ダビデ王の子孫から「力ある神/永遠の父」という表現などから分かるように、神に等しいお方が誕生することが語られています。ダビデ王は、アブラハム同様に神への誠実な信仰を持っていた反面、彼もまた6節に登場するバト・シェバ(サムエル記下11章、495p参照)との不倫を隠すために、その夫ウリヤを故意に戦場で戦死させるという取り返しのつかない罪を犯しています。聖書はそのことを赤裸々に記録に残しています。
1:2 アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、1:3 ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、1:4 アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、1:5 サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、
>>>これらの箇所には通常のユダヤ人の系図には書かれることのない女性の名前が登場します。どの人物も系図に載せるにはぞれぞれに問題があった女性たちでしたが、内容を吟味すると、彼女たちの信仰が評価できる内容になっています。
◆タマル)創世記38章1-26節(66p)・・・タマルは死んだ夫エル(ユダの長男)の子孫を残すために、夫の兄弟との間に子どもを授かるしきたりに忠実に従うことを、夫の父親であるユダに申し出た人物です。しかし、途中でユダがその責任を放棄したことを知ったため、ユダの妻の死後、遊女に扮してユダとの間に子どもを授かることによって自分の使命を果たしていく女性です。彼女が義理の父をだましたことは問題かもしれませんが、彼女はユダの妻が亡くなって独り身になってから行動を起こしています。また、そもそもはユダに責任があったわけですから、彼女は当初の目的を夫のために忠実に果たそうとした点で評価できます。
◆ラハブ)ヨシュア記2章1-21節(341p)・・・エリコの町に住んでいた遊女でしたが、イスラエルの偵察隊を宿泊させ、命をかけて彼らを逃がした人物です。彼女はイスラエルの民が神の奇跡の連続によってエジプトから脱出したことを伝え聞いていた人物で、2章11節後半「あなたたちの神、主こそ、上は天、下は地に至るまで神であられるからです。」と彼女が告白しているように、イスラエルの神こそ真の神だと信じていました。そのため、神の憐れみを受け、エリコの町と共に滅ぼされずに救い出されます
◆ルツ)ルツ記(421p~)・・・ユダのベツレヘムのエフラタ出身の家族の元に嫁いだ、モアブ人ルツの物語。彼女は子どものないままに夫に先立たれ、国に帰るように姑のナオミに薦められるが、夫の母を支え、故郷へ一緒に行くことを堅く決意します。そして、ナオミの一族のボアズに嫁いでいくことになります。しかし、モアブ人はイスラエル民族がカナンの地に戻ろうとした時に、ベオルの子バラムという預言者を雇って呪わせようとしたために、十代目になってもまだまだ一緒に礼拝をすることが赦されない民族として定められていました(申命記23章4-5節、316p「アンモン人とモアブ人は主の会衆に加わることはできない。十代目になっても、決して主の会衆に加わることはできない。それは、かつてあなたたちがエジプトから出て来たとき、彼らがパンと水を用意して旅路で歓迎せず、アラム・ナハライムのペトルからベオルの子バラムを雇って、あなたを呪わせようとしたからである。」)の出でした。しかし、そのような民族出身者が主イエスの家系図の中に入れられていることも、意義があると言えるのではないでしょうか。
1:6 エッサイはダビデ王をもうけた。ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、1:7 ソロモンはレハブアムを、レハブアムはアビヤを、アビヤはアサを、1:8 アサはヨシャファトを、ヨシャファトはヨラムを、ヨラムはウジヤを、1:9 ウジヤはヨタムを、ヨタムはアハズを、アハズはヒゼキヤを、1:10 ヒゼキヤはマナセを、マナセはアモスを、アモスはヨシヤを、1:11 ヨシヤは、バビロンへ移住させられたころ、エコンヤとその兄弟たちをもうけた。1:12 バビロンへ移住させられた後、エコンヤはシャルティエルをもうけ、シャルティエルはゼルバベルを、1:13 ゼルバベルはアビウドを、アビウドはエリアキムを、エリアキムはアゾルを、1:14 アゾルはサドクを、サドクはアキムを、アキムはエリウドを、1:15 エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、1:16 ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。1:17 こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。
>>>マタイが従来の伝統的な系図ではない、個性溢れる主イエス・キリストの系図を書き得たのは、主イエス・キリストに彼自身人生を変えられたこと。そして、旧約聖書がもともとあらゆる人種、人々に対して悔い改めと救いの手を差し伸べていることを、一貫して語り続けて来たからではないかと考えられます。聖書教育誌も言及しているように、マタイもまた、旧約聖書の登場人物から自分までつながる祝福の系図に気づいていた一人だと言えます。そして、私たちもこの系図に連なる者たちであることを感謝したいと思います。
◆話し合いのポイント
・聖書教育誌は「ずっとつないでくださっていた(歴史)」88p、「罪深く、涙や傷のある歴史ですが、それをも神が繋いで下さった」89p、「マタイ書の系図は、旧約と新約を繋ぐ上で重要な役割を果たしています。」90p、「ひとり一人の名前」90p、「ひとり一人の人物」91p、「ひとり一人の命」91が神さまに大切に取り扱われ、目を留められていることを強調しています。
今回の箇所を通して、歴史を貫いて関わり続けていて下さる神の御業について、聖書教育誌を参考に豊かな話し合いがなされることを期待しています。