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主日礼拝宣教要旨

2018年8月19日(日) 礼拝宣教要旨 「熱心党のシモン」ルカよる福音書 6章12-16節

西川口キリスト教会 斎藤 信一郎 牧師

そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。朝になると弟子たちを呼び集め、その中から十二人を選んで使徒と名付けられた。

ルカによる福音書  6章12-13節

 熱心党のシモンについては、主イエスの十二弟子の一人であったということ以外、聖書に彼個人に関する記述はありません。彼について分かることは、シモン・ペトロ同様にシモンというヘブライ語の名前を持っていたこと。そして熱心党にかつて所属していたということで「熱心党のシモン」と呼ばれていたことです。

 そこで彼を知る手がかりは熱心党にあります。正式な政治団体ではなく、反体制的な活動をしていた団体です。イエスの少年時代に、ガリラヤのユダを指導者に組織され、武力も辞さないイスラエルの独立を強く主張する団体でした。合い言葉が「ヤーウエの他に神なし、神殿の他に税なし、熱心党の他に友なし」だったことからも、その過激さが分かります。使徒言行録5章37節にその活動の一端が報告されており、「住民登録の時、ガリラヤのユダが立ち上がり、民衆を率いて反乱を起こしたが、彼も滅び、つき従った者も皆、ちりぢりにさせられた。」とあります。

 主イエスの弟子たちの中にはボアネルゲ(雷の子から)と呼ばれる気性の激しい兄弟もいました。熱心党のシモンのように多くの人に危険視されるような団体に所属していた人物もいました。あえてそのような気性や経歴を持った人物を十二弟子に選んだ主イエス。そこには主イエスの教会形成観が現れているのではないでしょうか。主イエスは一般の組織とはかなり異なった基準で人々を身近において忍耐強く教え導き、宣教活動の中心に置きました。主イエスの福音に徐々に変えられた熱心党のシモン。彼は伝承では後にエジプト、アルメニアで布教し、最後はペルシャで殉教したと言われています。武力によらない平和の福音を命の限り宣べ伝えたのです。神が与えて下さるアガペーの愛を胸に「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」と言われた主イエスの言葉に従い続けたシモンでした。

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