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主日礼拝宣教要旨

2018年7月8日(日)礼拝宣教要旨 「証拠を求めたトマス」ヨハネによる福音書20章24-29節

西川口キリスト教会 斎藤信一郎牧師

『さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。』ヨハネによる福音書20章26節 

 

 今回は十二弟子の一人、トマスに焦点を当てます。「トマス」はヘブライ語の名前です。アラム語の「トーマー(ふたご)」という言葉から来ています。当時の公用語のギリシャ語では「ディディモ」と言いました。トマスについて知るには、ヨハネによる福音書の3箇所が手がかりになります。11章によれば、当時ユダヤ人たちに命を狙われていたイエスがベタニア村にいる重病人ラザロに会うために出かけようと言い出した時、「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と言ったのはトマスでした。自分たちも死を覚悟して一緒に行こうとする情の熱い一面を持っていたようです。また14章では、最後の晩餐の席で主イエスが特別なところへ行こうとしていることを説明し「わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」と語った時、彼は「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」と答えます。トマスの率直で曖昧なことをうやむやにしない性格が伺える場面です。

主イエスが復活して最初に弟子たちに現れた時、彼は一緒にいませんでした。トマスはかつて死んだラザロが生き返るのを目撃していましたが、主イエスが復活したと聞いても素直に信じることはできませんでした。しかし、その8日後に部屋の戸に鍵がかった状態で主イエスが突然現れ、トマスが主イエスの復活を信じようとしなかったことまで言い当てられてしまいます。何よりも、主イエスが生前に何度も弟子たちに語った「あなたがたに平和があるように」という言葉を耳にして、彼はそれ以上確認をする必要がなくなります。そして、当時のユダヤ人たちの間では人を神としてあがめることはタブーとされていましたが、彼は主イエスに向かって「わたしの主、わたしの神よ」とためらわずに告白しました。

伝承では、彼はその後主イエスの命により、大工としてインドのグンダフォロス王の商人アバネスに連れられてインドで神殿の建築にたずさわりながら、王様を始め、多くの人をクリスチャンに導いたと言われています。ここにも一人、主イエスを愛して生涯を貫いた弟子がいたのです。

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