西川口キリスト教会 斎藤信一郎牧師
今月の主題…「みこころを尋ねて行動する信仰」
◆前回から今回の箇所までの流れ
18章16節から…アブラハムは彼のところに立ち寄った、人の姿をした三人の神からの使者(18章2節)を、自ら献身的にもてなします。その後三人としばらく旅に同行するアブラハム。親族のロト一族が住む、ソドムの町が見下ろせるところまで来ます。三人の内の二人は御使いで(19章1節)、引き続きそこからにソドムに向かいます。一人残ったのは、主イエス・キリストではないかと推測される、「主」と表現される神と同等の存在でした(18章22節)。アブラハムはソドムの町が神によって滅ぼされることを悟ります。そして執り成し祈るようにして、神の憐れみをしぶとく願い求めます。「主」はアブラハムの願いを聞き入れてそこを去り、アブラハムも帰ります(18章33節)。一方、ソドムの門のところにいたロトはソドムに着いた御使いたちに気づき、彼らを強いて自分の家に招待してもてなします。それを知ったソドムの男たちが、夜半過ぎであるにも関わらず家に押し寄せて二人の引き渡しを要求します。そのまま集団暴行へと発展しそうになった矢先、御使いたちが暴徒たちをかく乱させて、ロト一家を絶体絶命の危機から救います。
<原則として、ご自分で聖書本文を読み、黙想してから以下の文章、聖書教育誌、その他の参考文献を読むことをお奨めします。また、黙想の際に違う聖書訳を比較して読むこともお奨めします。>
※『聖書教育』誌は日本バプテスト連盟発行の教会学校教案誌です。詳細は下記のURLでご照会下さい。 http://www.bapren.com/index.html (『聖書教育』ホームページ)
◆黙想のポイント
・主なる神の忍耐と憐れみについて黙想しながら読みましょう。
・アブラハムとロトとの信仰姿勢の違いを考えながら読みましょう。
・19章前半もあわせて読みましょう。
19:15夜が明けるころ、御使いたちはロトをせきたてて言った。「さあ早く、あなたの妻とここにいる二人の娘を連れて行きなさい。さもないと、この町に下る罰の巻き添えになって滅ぼされてしまう。」19:16 ロトはためらっていた。主は憐れんで、二人の客にロト、妻、二人の娘の手をとらせて町の外へ避難するようにされた。
>>>彼らを絶体絶命の危機から救ってくれた神の御使いたちでしたが、ロトは彼らの緊急脱出の指示に従順に従うことができず、夜明け頃までためらい続けていました。それはなぜか。多くの財産を持ち、ソドムでの生活がどれほど神の御前に罪深い状態であるかがわからず、今の自分の生活を変えたくないという思いが強かったのでしょうか。様々な理由が考えられます。アブラハムだったらどう行動していたでしょうか。比較して考えてみるとよいでしょう。また私たちがロトの立場だったら、果たしてどうするか考えさせられます。
>>>16節の表現にも注目しましょう。この場面は「御使いたちはロト、妻、二人の娘の手を取って町の外へ避難するようにした。」と表現してもおかしくない場面です。それを「主は憐れんで…二人の客に(御使いたちに)…された。」と表現することによって、御使いたちではなく、「主」なる神が主人公であり、これらの出来事に責任を担い続けていることが強調されています。
>>>結局、優柔不断で決断が迅速にできないでいたロトでした。御使いたちは彼らの手を取って、強制的にソドムの町から連れ出します。
19:17 彼らがロトたちを町外れへ連れ出したとき、主は言われた。「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる。」
>>>町を出たところで「主」はロトたちに出会って、彼らに、神が下す災いが大規模なものであることと、一刻の猶予もないほどソドムの滅亡が迫ってきていることを語っています。「後ろを振り返ってはいけない」という言葉には、前を向い目標に向かって一目散に逃げなさいという意味と、ソドムの町の生活に未練を残してはならないという意味が込められていたと考えられます。神の言葉を真剣に受け止めなかったロトの妻は、26節のように警告を破ったために塩の柱になり、結果的にソドムと同様に滅ぼされてしまいます。
19:18 ロトは言った。「主よ、できません。
>>>短い節ほど、読者に注目してもらいたいポイントがあるのが聖書です。ロトは主なる神が示す最善の道に素直に従うことができず、憐れんで救おうとされる神の言葉を否定してしまいます。彼は自分で自分の限界を決めてしまっているのです。自分を救おうとされているのがどんなに頼りになるお方なのか、そしてまた、主はどんな奇跡でも起こすことができるお方かなのだということが、未だに理解できないでいるのです。ソドムでの生活がロトの心をそこまで鈍くしてしまっていたのでしょうか。さらに言い訳が続きます。
19:19 あなたは僕に目を留め、慈しみを豊かに示し、命を救おうとしてくださいます。しかし、わたしは山まで逃げ延びることはできません。恐らく、災害に巻き込まれて、死んでしまうでしょう。
>>>前半でロトが語っているように、彼は神が自分にして下さった奇跡的な出来事をある程度理解しているのです。それにも関わらず、彼は自分で限界を決め、神が救いの道を明確に示しておられるのに、言い訳ばかりして神の指示に聞き従いません。最後まで指示に従い抜いて、家族の命を救うことができるよう主に助けを求めようともせず、自己中心的な判断をするロトがいます。
19:20御覧ください、あの町を。あそこなら近いので、逃げて行けると思います。あれは小さな町です。あそこへ逃げさせてください。あれはほんの小さな町です。どうか、そこでわたしの命を救ってください。」
>>>ロトにとって、神の指示に完全に従うことが最善であるはずでした。しかし、彼は自分の考えを神に押し付け、まるで神と対等であるかのように直談判しています。間違った神への祈りの姿勢として、私たちの普段の祈りについて顧みる必要があります。
19:21主は言われた。「よろしい。そのこともあなたの願いを聞き届け、あなたの言うその町は滅ぼさないことにしよう。19:22 急いで逃げなさい。あなたがあの町に着くまでは、わたしは何も行わないから。」そこで、その町はツォアル(小さい)と名付けられた。
>>>小さいという言葉が印象的な場面です。神はより大きな祝福を与えようとしておられました。しかし、信仰が非常に小さいロトは、それを受け止めることができません。逆に自らを低くし、小さくして、どこまでも忍耐強く彼に接する主なる神の姿がここに描かれています。
19:23 太陽が地上に昇ったとき、ロトはツォアルに着いた。19:24 主はソドムとゴモラの上に天から、主のもとから硫黄の火を降らせ、19:25 これらの町と低地一帯を、町の全住民、地の草木もろとも滅ぼした。19:26 ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になった。
>>>ロトの妻はせっかく大災害から命を救い出されたのに、なぜ塩の柱になる結末を迎えてしまったのでしょうか。振り返ってはならない時に後ろを振り返って生きるとは、どういうことか考えさせられます。また、主は17節で「後ろを振り返ってはいけない。」と明確に警告しておられました。神の警告を再三にわたって軽んじ、理解しない時に、突如として訪れる滅びについて考えさせられます。
19:27 アブラハムは、その朝早く起きて、さきに主と対面した場所へ行き、19:28 ソドムとゴモラ、および低地一帯を見下ろすと、炉の煙のように地面から煙が立ち上っていた。
>>>18章16節で語られていたソドムが見下ろせる場所を指すのでしょう。それはどれほど恐ろしい光景だったことでしょうか。ロトたちの身を案じながら執り成し祈るアブラハムを想像します。ロトの、神への身勝手な要求が聞き入れられた背後には、アブラハムの祈りがあったことをロトは知りませんでした。
19:29 こうして、ロトの住んでいた低地の町々は滅ぼされたが、神はアブラハムを御心に留め、ロトを破滅のただ中から救い出された。
>>>なぜ、ロトたちが神の憐れみを豊かに受けることができたのか、それはひとえに、信仰者による真剣な執り成しの祈りが背後にあったからだと聖書は語っています。教会が存続し続けることができるのは、多くの信仰者たちの背後の執り成しの祈りがあるおかげではないでしょうか。執り成しの祈りを受け続けている側である自覚を持ちつつ、執り成し祈る者でありたいと願わされます。そのためには、自らの環境をもっと整えるところから始める必要を感じます。そうでないと判断が鈍くなり、自分勝手な判断となり、速やかな行動を神から求められた時に手遅れになってしまう危険があることを今回の箇所から教えられます。
◆話し合いのポイント
・聖書教育誌の「話し合いのポイント」および少年少女科の「活動」などを参考にして下さい。
青年成人科の「話し合いのポイント」や少年少女科の「おはなし」少年少女科のコラムも考えさせられます。