ようこそ西川口キリスト教会のホームページへ

地域と共に歩む桜並木の教会

教会員ページ
主日礼拝宣教要旨

2018年7月15日(日)  礼拝宣教要旨 「徴税人マタイ」マタイによる福音書 9章9-13節 

西川口キリスト教会 斎藤 信一郎 牧師

イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。         マタイによる福音書9章9節 

 マルコによる福音書から、マタイは、父親の名はアルファイだということ、そして別名レビと呼ばれ、彼がイスラエルの十二部族の中で祭司の家系であったレビ族の可能性があることが示唆されています。主イエスとの出会いは彼が収税所で徴税人としての仕事をしていた時でした。当時徴税人はローマ帝国の手先として働いていました。また徴収する税の上乗せで生活していたため、彼がレビ族の面汚しとして一般の徴税人以上に肩身の狭い思いをしていたことが考えられます。一方、レビ族出身と考えられることや職務上記録することに長けていたことから、新約聖書の最初に位置する福音書の記者として才能を発揮できたと考えられます。山上の説教や主の祈りなどを後世に残したのは彼の功績と言えるでしょう。

 ルカによる福音書では「私に従いなさい」との呼びかけに「彼は何もかも捨てて」従ったことが語られています。大勢の人を招き、大宴会を催すことができるだけの大きな家と財産を手にしていたマタイが、全てを主イエスの宣教のために用いる者へと変えられていきます。彼が宴会に招いたのは、同業者や彼同様にイスラエルの社会で罪人として軽蔑されていた人々でした。罪人という枠の中には収税人、様々な理由で普段礼拝に参加できない人々、障害を負った人、外国人などが含まれていました。13節の後半部分「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」は三福音書で共通ですが、前半部分「『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。」という表現は、主イエスの憐れみを身をもって体験したマタイ特有のものです。

 「マタイ」とは「神の賜物」という意味の名前です。主イエスとの出会いは、彼のそれまでの経験、人脈、才能、財産の用い方を180度変える出来事となりました。聖書では、自分のためではなく、神のご用のために用いるものを「賜物」と表現します。主イエスとの出会いは、彼の名前を真実なものに変えたのです。本日は献堂記念感謝礼拝です。多くの方の尊い賜物によって建てられた教会で、これからもマタイのように豊かに互いの賜物が用いられていくことを願います。

関連記事

PAGE TOP