西川口キリスト教会 斎藤信一郎
今月の主題…「みこころを尋ねて行動する信仰」
◆前回から今回の箇所までの流れ
13章)エジプトからカナン地方のネゲブに戻ったアブラム一行は、ロト一族と分かれて暮らすことに。
アブラムはヘブロンに移り、そこに主のために祭壇を築く。
>>>主の導きを仰ぐ姿が取り戻されています。ロトが住むために選んだ地域について13節では、
「ソドムの住民は邪悪で、主に対して多くの罪を犯していた。」と表現しており、今回の箇所の
伏線になっています。このことはアブラムにも伝え聞こえ、ロト一族を心配していたのではない
でしょうか。
14章)近隣諸国の王たちの地域紛争に巻き込まれて、捕虜となったロト一族の救出に成功するアブラム。
凱旋時に出迎えた、サレムの王であり祭司であったメルキゼデクに、戦利品の十分の一を贈る。
15章)主なる神から、やがてアブラム自身の子どもが跡継ぎとなるとの約束を与えられる。
そして確証を求めたアブラムに、犠牲を献げさせて契約を結ぶ。また、4代目までの子孫が受け
る、後の試練について聞かされる。
16章)アブラム86歳時、ハガルを通して長子イシマエルが誕生する。
17章)アブラム99歳時、主なる神が再び現れ、アブラム夫妻の名前の変更および二人の間に生まれる子
にイサクと名付けるよう指示する。
18章前半)マムレの樫の木のそばの天幕の入り口にいたアブラハムに現れた3人の者たち。
アブラハムは彼らを神に遣わされた特別な人々だと見抜き、自ら接待をする。その人々から、来年
子どもが与えられると聞かされる。
<原則として、ご自分で聖書本文を読み、黙想してから以下の文章、聖書教育誌、その他の参考文献を読むことをお奨めします。また、黙想の際に聖書地図で確認し、違う聖書訳を比較して読むこともお奨めします。>
※『聖書教育』誌は日本バプテスト連盟発行の教会学校教案誌です。詳細は下記のURLでご照会下さい。 http://www.bapren.com/index.html (『聖書教育』ホームページ)
◆黙想のポイント
神様は私たちの執り成しの祈りを用いて御業を行われるお方です。アブラムの祈りを引き出し、約束通り、ロトの家族とソドムに対する裁きを行われる話の流れを、今回と次回で注目しましょう。
◆ソドムのための執り成し
18:16 その人たちはそこを立って、ソドムを見下ろす所まで来た。アブラハムも、彼らを見送るために一緒に行った。
>>>神から遣わされた者たちの目的を知ろうとしてか、アブラハムは執拗に彼らに随行します。そしてロトたちが住んでいたソドムの町が見下ろせる場所まで一緒に行きます。
18:17 主は言われた。「わたしが行おうとしていることをアブラハムに隠す必要があろうか。18:18 アブラハムは大きな強い国民になり、世界のすべての国民は彼によって祝福に入る。18:19 わたしがアブラハムを選んだのは、彼が息子たちとその子孫に、主の道を守り、主に従って正義を行うよう命じて、主がアブラハムに約束したことを成就するためである。」
>>>19節の言葉に目を留めましょう。神がアブラハムを選んだ理由が明確に語られています。ポイントは「主」が主人公になっていること。その「主」に従ってすべてを行っていくべきことが表現されています。
18:20 主は言われた。「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。18:21 わたしは降って行き、彼らの行跡が、果たして、わたしに届いた叫びのとおりかどうか見て確かめよう。」18:22 その人たちは、更にソドムの方へ向かったが、アブラハムはなお、主の御前にいた。
>>>18章2節には「目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。」とあり、明らかに人間の姿をした人々だったことが分かります。一方で、この章では三人の内の一人は「主」、つまり神であることが語られています。また19章1節から、後の二人は「御使い」だったことが分かります。この箇所の表現で注目したいのは、これまでのように「主なる神」とは言わず、「主」と表現し、しかも人間として表現されていることです。従ってここにいるのは、イエス・キリストではないかと想像することができます。創世記にはこのような箇所が他にもあります。注目しながら読むと良いでしょう。新約聖書における主イエスの言葉を思い出します。
「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。」ヨハネによる福音書5章39節
18:23 アブラハムは進み出て言った。「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。18:24あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。18:25 正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。」18:26 主は言われた。「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう。」18:27 アブラハムは答えた。「塵あくたにすぎないわたしですが、あえて、わが主に申し上げます。18:28 もしかすると、五十人の正しい者に五人足りないかもしれません。それでもあなたは、五人足りないために、町のすべてを滅ぼされますか。」主は言われた。「もし、四十五人いれば滅ぼさない。」18:29 アブラハムは重ねて言った。「もしかすると、四十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「その四十人のためにわたしはそれをしない。」18:30 アブラハムは言った。「主よ、どうかお怒りにならずに、もう少し言わせてください。もしかすると、そこには三十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「もし三十人いるならわたしはそれをしない。」18:31 アブラハムは言った。「あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、二十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「その二十人のためにわたしは滅ぼさない。」18:32 アブラハムは言った。「主よ、どうかお怒りにならずに、もう一度だけ言わせてください。もしかすると、十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「その十人のためにわたしは滅ぼさない。」
>>>ここには、身内のロト一族を救いたいという、アブラハムの真剣な執り成しの祈りが表現されています。「主」は忍耐強くアブラハムの訴えに耳を傾け続け、その願いを聞き入れ続けていかれます。このやりとりの中にはいつくかの注目点があります。
「主」はアブラハムに、一度もソドムを滅ぼすとは語っていません。それにも関わらず、アブラハムはソドムが滅ぼされると確信しながら執り成しています。アブラハムが生まれるまで生存していたノアと何人もの父祖たち、特にアブラハム以上に長生きした計算になるエベル(11章16節)などから、ノア時代の洪水の話やバベルの塔の話を伝え聞き、ソドムもきっと滅ぼされるに違いないと考えたのでしょうか。また、アブラハムは、ロト一族だけに神の憐れみを求めるような執り成しの仕方をしませんでした。そして、彼は十人までで執り成しを終わらせました。十という単位は聖書で繰り返し特別な数字として登場します。これらと関係があるのでしょうか。
18:33 主はアブラハムと語り終えると、去って行かれた。アブラハムも自分の住まいに帰った。
>>>「主」の役目はここで終わります。「主」は、先に出発した御使いたちのところに戻って行きませんでした。「主」の役目は、アブラハムの執り成しの祈りを引き出すことで終わっています。アブラハムの祈りは、人類の罪の赦しを執り成し祈りながら、十字架の上で息を引き取られた主イエスの姿と重なります。
◆話し合いのポイント
・聖書教育誌の「話し合いのポイント」および少年少女科の「活動」などを参考にして下さい。
青年成人科の「話し合いのポイント」や少年少女科の「おはなし」少年少女科のコラムも考えさせられます。