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主日礼拝宣教要旨

2018年6月24日(日) 礼拝宣教要旨「聖書を愛したバルトロマイ」ヨハネによる福音書1章43-51節

西川口キリスト教会 斎藤信一郎牧師

『ナタナエルが、「どうしてわたしを知っておられるのですか」と言うと、イエスは答えて、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われた。』ヨハネによる福音書1章48節 

 バルトロマイの名前が聖書で登場するのは四回です。その内の三つは最初の三福音書で十二弟子が紹介される箇所です。十二弟子は二人一組で宣教することがありましたが、彼のペアはフィリポだったと考えられています。残りの一回は復活後に弟子たちが聖霊降臨を待ちながら主イエスの家族と一緒に心を合わせて祈っている場面に登場します。バルトロマイとは「トロマイ(父親の名)の子(バル)」という意味です。これ以外のことは、ヨハネによる福音書を見る必要があります。今回の箇所ではナタナエルがフィリポの友人として書かれていること。また21章1-2節で復活後に主イエスが現れた場面の弟子の中に彼の名前があることからナタナエルがバルトロマイであり、十二弟子の一人だったと考えられています。なお、この箇所から彼がガリラヤのカナ出身だということも明らかになります。ナタナエルという名前は「神は与える」という意味です。

 初めは主イエスがメシア(救い主)だと信じることできなかったナタナエルでしたが、主イエスが彼を誠のイスラエル人で彼には偽りがないと評価し、彼がいちじくの木の下にいるのを見たと聞いた途端に主イエスを信じるようになります。いちじくは創世記3章のエデンの園の話からヨハネの黙示録までに66回登場する重要な木です。またザアカイが登った木、主イエスが実がなっていることを期待した木としても有名です。敬虔なユダヤ人はいちじくの木やぶどうの木を庭に植え、好んでその下で神を思い、平和を祈り、御言葉を黙想する習慣があったといいます。ナタナエルはそのような習慣を大切にしていた人物だったのです。両者の会話を経て、彼は主イエスを「神の子」と告白するようになります。「神の子」とは聖書でメシア=救い主という意味で度々使われている言葉です。ナタナエルの信仰告白を聞いた主イエスはこれから彼がさらに偉大なことを目撃することになると宣言しました。伝承ではその後、彼はフィリポとトマスと共に各地を宣教したと伝えられています。

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