西川口キリスト教会 斎藤信一郎牧師
「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。」ルカによる福音書9章48節
父はゼベダイ、母はサロメ、そして兄ヤコブと同じく主イエスの側近3人衆の一人であった使徒ヨハネ。雷の子ら(ボアネルゲ兄弟)と呼ばれるほど気性の激しい一面を持ち、家業は漁師でした。以前はバプテスマのヨハネの弟子で十二弟子の中では若いと目される人物。そのヨハネの個性がにじみ出ているのが今回の箇所です。
直前に主イエスは受難を見据えて既に弟子たちに受難予告をします。しかし弟子たちは主イエスの受難予告が十分に理解できず、むしろその後に訪れると信じていた主イエスを頂点とする神の国の到来に期待が膨らみ、その時の大臣に誰がふさわしいのかに議論が向かっていったと考えられます。これに対して主イエスは近くにいた子どもを自分のそばに立たせて上記48節のように語ります。
この世では身分や地位が高くなるほど、より高収入で責任とやり甲斐がある仕事に就くことができると考えられています。しかし、主イエスはこの概念と真逆のことを弟子たちに教えます。「わたしの名」つまり「神は救いである」ことを宣教するために、目の前の小さな子どもよりも自分を小さくして、主イエスのようにすべての人に分け隔てなく仕える者こそが神の国では最も偉いのだと。
これを聞いたヨハネはすかさず自分が過去にしたことに疑問を持って主イエスに相談します。悪霊を主イエスの名で追い出している者を仲間になるように誘った時、断られたので主イエスの名を使うのを止めさせようとしたことを伝えます。主イエスは相手との関係を絶つのではなく、主イエスに従う者となるように忍耐強く招くべきだという意味を含めて「やめさせてはならない」と答えます。
仕えるという字は、人と人が寄り添い、また頼り、頼られることを象徴する「人」という字。それと下にキリストを土台に据えた十字架と見ることができる「士」という字から出来ていると考えてみてはいかがでしょうか。それこそ主イエスが弟子たちに示された模範です。キリストを土台とし、自分の十字架を背負って、その後もヨハネは主イエスに仕え、パトモス島に幽閉された時にはそこでヨハネの黙示録を含む聖書記者となりました。人々の頂点には立てませんでしたが、多くの人に仕えた使徒ヨハネの生涯でした。